発達障害ちゃんと赤ちゃん

37歳無職。ADHD。同い年の夫(双極性障害)と2歳3か月の息子と世田谷区に暮らす。わりといつも離婚5秒前。

ADHDの産後①

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普段は親ばかを絵にかいたような私ですが、ふと、もし妊娠前に自分がADHDだとわかっていたら子どもを産んでいただろうか?と思うことがあります。

 

子どもを産んだこと、息子と出会えたことに後悔は微塵もないのですが、あの、あの産後の地獄を思い出すと、悩む。

もしあれが、あのADHD地獄があると分かっていても生んだかと言われると少し悩みます。

 

発達障害の当事者の多くはそうだと思うのですが、発達障害の特性は、睡眠不足とか、疲労とか、ホルモンバランスの乱れとか、ストレスとかの影響をとても受けやすいです。

 

私の産後、それは、人生最大のホルモンバランスの乱れ、経験したことないほどの先の見えない睡眠不足、毎日エコノミークラスに12時間乗った後のようなぐったりした疲労、ほぼ一人で経験もないのに新生児の命を預かるプレッシャーという逃げ場のないストレス。

その結果、これまでに経験したことないほどにADHDの特性が出ました。

 

まずは感覚過敏。

少しでも光があると眠れなくなり、電気を消し、遮光カーテンを閉めて、アイマスクをして眠りました。

もともとあった聴覚過敏はさらにひどくなり、マンションの上の階の住人が筋トレする音に耐えられずに直接苦情を言いに行きました。

 

次に、睡眠障害

新生児の授乳は3時間に一度と言われていますが、実際は1時間半で腹が減ったと泣くこともあれば、2時間で泣くこともあり、そうすると、準備に10分、赤ちゃんが飲んでるのが30分なので、後片付けに10分、もうこれで50分なわけです。

だから布団に入ってまた寝ようかとウトウトしていると次の腹減った~の泣きがあり、疲れすぎて眠すぎて小刻みに震える体をなんとか起こして、赤ちゃんに乳をあげるのです。これがエンドレス。何日も何カ月もエンドレスです。寝られないというのは拷問かと思うほど辛いものです。

しかも産後の身体は弱り切っています。会陰切開した傷口の痛み、子宮からは悪露といって生理のような出血が1ヵ月続きます。大きく膨らんだお腹の皮はだぶだぶ、もう全部抜けるんじゃない?ってほどの抜け毛、ガサガサの肌、なんかすごくしんどい、だるい自分の身体じゃないみたい。毎日しんどいけど、これいつまで続くの?毎日インフルエンザくらいしんどいけど、なんなの?この身体なんなの?

 

それなのに寝られない。

それなのに赤ちゃんは私気を抜くと死んじゃう。

助けて。

なにこれ助けて。

 

産後3か月頃、なんだか全く眠れなくなってしまいました。

眠いのに気が張って、頭が熱くて、動悸がして眠れないのです。

眠りに落ちそうになっても、眠りに引きずり込まれる瞬間にびくっとなって起きる。

赤ちゃんが泣いていない時にも泣き声の幻聴が聞こえる。

起きている間中ぼんやりしているので、素手で熱したフライパンを掴んだり、水を出しっぱなしにしたり、食器をやたらと落として割ってしまったり、とても正常ではありませんでした。

でも、昼間は赤ちゃんと二人でいるので、そんなおかしな私をみる人はいないので、誰もおかしいと気づきません。

夜に帰ってくる夫は私の疲労を心配して、産後3か月から赤ちゃんと夜寝てくれるようになりました。昼間仕事をして、夜に赤ちゃんの世話をしては夫の身体が持たないのではと心配しましたが、夫は嫌な顔せずに赤ちゃんと毎日毎日寝てくれました。

それなのに、私は眠れません。

ひどくなる焦燥感。

おそってくる絶望感。

眠れなくて一日中起きているのに、部屋はぐちゃぐちゃ、ご飯もちゃんと作れない、仕事なんてもちろんできないし、音楽も、文字も受け入れられない。聴けないし読めない。

赤ちゃんが泣くと泣き声が耳を破りそうに大きく聴こえる。耳障りでたまらない。

気が狂う。

気が狂う。

お願いだから泣かないで。

 

②に続きます。

 

昨日の夜、別居中の夫が自宅に来ました。

突然のことで驚きましたが、とてもうれしかった。

顔が見られて、言葉が交わせてとてもうれしかった。

息子もうれしかったようで非常に興奮して夜中11時まで起きて「お父さんが…」「お父さんと…」と布団の中で話していました。

私の携帯が不通(iphoneが壊れたので機種変更したら、アップルIDがわからなくなりアカウント復旧に2週間もかかる)を心配しての突然の訪問だったわけですが、ああ、私が相も変わらずくそ間抜けなせいで、夫に心配をかけてしまい申し訳ない、ほんとうに間が抜けていてすいませんと心で反省したものの、でもさ、別居後、全然、夫からは連絡がなくて、テレビ電話しても息子としか話さないし、もう半年も会ってなくて、だから別に不通は知らせなくていいかなと思うじゃん?急に来るなんて思わないじゃん?

いや、でも心配かけてごめん。

心配性なのに、心配ばかりかける妻でごめん。

ありがとうね。

 

息子への愛情など

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私は息子が大好きで、彼のすべてが愛おしくたまりません。

その慎重さ、その思慮深さ、その陽気さ、その賢さ、その可憐さ、その自我の強さ、その幼さ…

彼を彼とする要素の一つ一つどれもすべてがユニークで特別で完璧だと思えます。

 

もちろん、3歳の子どもなので、一緒にいてこちらが社会のルールなどを教え、彼がひとりで生活できるようなるように適切な補助、または助言をしなければならず、その未熟なものを正しい方へ導かなくてはならない!というプレッシャーは相当のもので、ものすごく疲れる。

こちらがぎりぎりの状況で、必死に感情を抑えて息子の害にならぬ正しい指示、補助を行っていこうと努力したところで、そんなの私の思いなどは息子にとって知ったことではなく、彼は生きたいように生きるという強い意志をもっている。

生命の本能として。

そのぶつかり合いの毎日。

暴れ馬に手綱を付けて必死に乗りこなそうともがく毎日。

しかし、制御して指導しても絶対に支配してはいけない。

難しい。

育児、むずかしい。

人間としての力量が試される感がすごすぎる。

毎日自己嫌悪、毎日自分の底が知れる。

 

されど圧倒的に愛おしい息子。

だからこそ彼が生きる基礎をしっかりと身に着けられるよう、一人でなんでもできるように、自由でいられるようにと思い、物の道理を、生活の基礎を、社会の仕組みを教えなくてはと思いがんばる。

 

全然何も教えないし、何も手伝わないで全力で甘やかして、かわいがるだけ可愛がるなら楽なのになと思うこともある。

好きなお菓子だけを食べさせて、嫌がる歯磨きもしない、嫌がるお風呂もいれない、手洗いうがいもしない、おもちゃは好きなだけ買い与えて、テレビも好きなだけ見せて、乱暴なことしても叱らない、汚い言葉を使っても窘めない、あるがままでいいんだよと褒め続ける。

それはある種の虐待だし、ある種の支配。

だから気を抜けない。

うっかりそっちに転ぶのが怖い。

 

それにしてもどうしてこんなに息子のためには一生懸命になれるんだろうと考えます。

どうしてこんなに息子を愛おしいと思うんだろうと。

 

私はADHDだからなのか、もしかしたらまた別のなにかしらの障害があるからなのか、成育歴に問題があるからなのか、誰かを愛おしいという気持ちをずっとわからずに39年間生活してきました。

いつか誰かを愛するのだろうと漠然とした希望を持ちながらも、他人は私にとって異物でしかなく、関わったところで異物感があるだけでした。

ごく少数の友人はいましたが、彼、彼女たちの共通の特徴として、他人との距離感をしっかりとるというのがあります。

なので特に恋愛関係や夫婦関係という深い関係になると異物感が高じて嫌悪感になり互いに不幸になるというかなしいし、申し訳ない結果になってきました。

 

夫と出会って初めて、あれ?この人はには触られても気持ち悪くない?なぜ?異物感がない?と非常に不思議でした。

今でもなぜ夫には異物感を覚えないのか理由はわかりませんが、例えば夫以外の男性に口説かれたり、手を繋がれたり、腰に手を回されたりりした後は、夫が恋しくなします。普段は別居中の夫のことをほとんど忘れて生活しているのに、浄化してほしいような気持ちになるのです。焦燥感を伴うほどにその時だけ夫が恋しくなる。

なんなのでしょうね。あれだけ彼の風俗通いを嫌悪して、めちゃくちゃに非難して、殴って蹴って、全部を否定したのに、浄化してほしいだなんて。

なにか特別なんです。

それが愛情なのかはさっぱりわからないのですが。

 

息子へのこの思いが愛情なのかもわかりません。

責任感ではあると思います。

この世に生み出した責任感。

あとは、うんと大事で、うんと大好きで、ずっとずっと幸せでいてほしくて、悲しい思いなんて少しもしてほしくなくて、苦しい思いなんて少しもしてほしくなくて、愛おしくて愛おしくて胸がつぶれそうになる。

 

何でもしてあげる。大好き。ずっと一緒にいたい。大好き。大好き。

そんな気持ちが時と場所問わず、毎日毎日胸の内からどんどんどんどんどんどん溢れてくるんですよ。

こんな気持ちあります?なにこれ?え?なにこれ?これが愛って?え?まじか。

と戸惑いながらも、息子を大事に思っているという。

 

夫への気持ちは考えても考えるほどわからないから、もうすっかり考えることをあきらめているのですが、一つわかっているのは、彼は特別だということ。

他の男の人とは全然全然違うということ。

その顔も、ひょろひょろで猫背な体も、肌が弱いところも、お腹が弱いところも、ぼそぼそした話し方も、心が弱いところも、全部からにげるところも、よわくてよわくて本当にしかたないところも、それでも家族を大切にしようと必死だったこととかが愛おしいこと。

それはわかってる。

やりたかったこと②

先日、土砂降りの中、息子と一緒に歩いていて歩道を走る自転車を避けた拍子に、したたかに転んでしまい腰を痛めた上にiphoneを水溜りに落としてしまいました。

iphoneは壊れれてしまったし、腰は痛いし、やってられない。

職場にも保育園にも家族にも連絡が取れない不便と言ったらないです。

 

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さて、前回の記事の続きです。

お隣のご主人、郵便受けにセクハラまがいのコメントを書いたメモを入れたり(集積所に出したゴミの内容物で私の生理日を特定したなど)、息子と歩いていると5メートルぐらい後ろを歩いてくることが何度かあったり、私と夫が夜に出かける時には玄関を開けて覗き見たり(これはほぼ毎回)、学校の長期休みにお隣の奥様とお子さんが実家に帰るたびにおそらくプロの若い女性を呼ぶ、そんなご主人。

私の怒りをかったご主人。

 

管理会社からの注意くらいでは大人しくなる方ではないことは承知です。この段階で私の目的は、彼を管理会社からの注意で大人しくすることではありません。

管理会社への情報提供と苦情は、義父への電話同様に味方を増やすこと。

管理会社の重役は予想通り、私の自宅を訪問して前担当者の無様な管理を謝罪したいと申し出て下さいました。

ありがたい申出です。

私はお言葉に甘えて、自宅に来ていただきました。

そして、「これらの苦情はあくまで私から見た苦情です。お隣にはお隣の言い分があるかと思います。私からだけの話だけではフェアではないかもしれません」という私からの提案で、重役とお隣を訪問することになりました。

しかし、残念ながら、この日、お隣のご主人はお仕事で自宅にはいらっしゃいませんでした。それを知った上で重役に訪問日時を指定したのですから当然です。

お隣の奥様が、せっかくですからどうぞどうぞ、と言ってくださいました。

これも予想通り。

 

管理会社の方の話をきいて奥様はご主人は病気なのだと泣きました。

お子さんが小さい頃からご主人の様子が徐々におかしくなりはじめ、暴力や暴言が日常的になったと、子どもに危害を加える危険性を感じて何年もご実家で生活されていたといつもとかわらない笑顔でお話しされます。

その話しぶりから、何度もこの話をされていることがうかがえました。

おそらく、友人に、ご両親に、警察で、診断書をもらう病院で、これまで何度も話されてきたのだと思います。

奥様の整った顔、その大きな目、くすんだ肌、落ちくぼんだ頬、乱れた髪、張り付いたような笑顔を見て、ぼんやりとこの人はいつも本当にきれいだと思いました。聖母子像のマリア様みたいな人。

 

長い別居生活でしたが、お子さんの要望もあり、ご主人が現在の自宅を購入されて「もう殴ったりしない」との約束がなされ、家族での生活が2年前に始まったそうです。

そして1年ほど前からやはりご主人の様子がおかしくなったと。

しかしお子さんが小学校高学年になっていたことからご主人に反抗するようになり、体を張って奥様を守ってくれるようになったと。小柄なご主人には小学生の男の子の力も驚異のようで暴力はずいぶんましになったとおっしゃいました。

その発散できないストレスが私に向いたのではないのかとのことでした。

 

確かに1年ほど前にはよく隣から聞こえたご主人の怒声は最近聞こえません。

お隣の男の子、奥様によく似た聡明優しい男の子は、いつも息子に優しくしてくれるので私も大好きなのですが、彼がそんなヒーローだったとは。

 

奥様「主人がご迷惑をかけて申し訳ありません。4月からもう一度、主人と別居して実家で暮らす予定なんですよ」

私「ご主人に制裁はなしですか?」

奥様「警察に相談した結果の別居なんです。子どもがいるのでことを荒立てたくなくて」

 

そうか。では私が。

この管理会社の重役訪問で流石、使える重役は、早急にご主人に訪問したこと、奥様にお話を聞いたことを書いたかなり強い口調の注意警告文書を送付して、ご主人の嫌がらせは止みましたが。

まだまだ。

 

週末、奥様とお子さんは大抵ご実家で過ごされます。そして夜の9時くらいに大抵、奥様のご両親が車でお子さんと奥様を送り届けるのです。

週末夜9時。

やろうかな。

そうしようかな。

 

私はある週末ご主人だけが在宅されているのを確認して8時50分にお隣を訪問しました。

ひとりで、丸腰で。

恐怖はありません。静かな怒りがあるだけです。

「謝罪したいことがある」とインターフォン越しに言うとご主人はすんなりと玄関のドアを開けました。

 

さて、私はご主人に何を話したのでしょう。

奥様とお子さんと、奥様のご両親が玄関のドアを開けて入ってきた時、ご主人は私に「勘弁してください。お願いします」と頭を下げていました。

奥様のお子さんも奥様のご両親も驚いていますが、誰もご主人の近くには来ません。みんなドアの近くから動きません。

誰もご主人を心配していません。

奥様のお父さんが私の安否を気遣い、ご主人の腕をつかむと上の階に連れて行きました。奥様から私の話が伝わっていたのでしょう。

うなだれたご主人はされるがままです。

 

悪いことはしてはいけません、なめたことしてると潰す。

私が話したことはそれだけです。

脅迫罪に抵触しないように伝え方には工夫しましたが。

 

ご主人は驚いていましたが、救急車の適正利用すら知らない情報弱者、ネットリテラシーの低いやつの職場や実家住所を割り出すなんて、ある程度情報処理ができる人間には簡単なんです。

本当にインターネットは便利。

大したことない社会的地位を失いたくないなら悪いことはしないことです。

 

詳しいことはわかりませんが、現在、お隣のご主人はご自宅には住んでいらっしゃらないようです。

めでたしめでたし。

 

 

 

やりたかったこと①

 

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3歳になった息子は随分と手がかからなくなりました。

オムツが取れたり、着替えができるようになったり、手を引かなくても安全なところを歩けるようになったり、何より心理面情緒面の発達が著しく、周りへの気遣い、正確な未来予測による適切な行動ができるようになり、こんなにも早く成長するこのかと驚いています。

そういえば、先日受診した皮膚科の医師には「あれ?君、6歳くらいだと思ってたのにまだ3歳なのか」と言われていました。

まだまだ甘えん坊で寝顔なんかは赤ちゃんの時と変わらないのに、大きくなっちゃって、うれしいけれど、少し寂しいような気もします。

 

そんな息子の健やかな成長により、ここのところ精神的にも時間的にも余裕ができてきたので、何かしようかしら。中国語でも習おうかな。資格でも取ろうかな、

と考えていましたが、その前にやるべきことがありました。

2つ。

 

1つ目は、隣人からの嫌がらせを止める。

 

 

1つ目、隣のご主人からの嫌がらせ。ここ2カ月ほどはあまりありませんが、夫が解離性障害の発作で救急搬送された際にドアの隙間からずっと覗き見ていたこと、救急車が行ったことを確認した後で私に「歩ける人間が救急車に乗って運ばれましたね!見てましたよ!」と私の腕をつかんで顔に唾がかかる距離で叫んだこと、それを息子に見せて怯えさせたこと、許すはずもありません。

隣人「歩ける人間はね、救急車に乗れなんですよ!もの知らずなバカ女だな。だいたいね、救急車を呼ぶなんて近所迷惑ですよ。みんなじろじろ見るし、恥ずかしい。今!ここで!消防署に電話しなさい!歩ける人間を救急車に乗せていいですか?とききなさい!」

私「小さい子がいるので大声はやめてください。救急車を呼んだのは夫の主治医の指示です。物を知らないのはどちらですか?いつもいつもじろじろ見ているのはあなたでしょ?(以前から覗きが頻繁にあったため)恥ずかしい人間もあなたでしょう」(この時点で隠れて会話録音開始)

隣人「あのね、知る権利があるの。旦那の病気なんなの?迷惑を被っている私にはね、知る権利があるんですよ。教えなさいよ。ほら?なんで言わない?得体のしれない女だな!おたく何してるの昼間!仕事にも行かずに家でいやらしいな」

私「病名は個人情報です。それに私の仕事が救急車を呼んだことと何か関係ありますか?」

隣人「おたくみたいな得体のしれない女が近所に住んでいて迷惑してるんだよ。早く消防署に電話してバカを証明しろ!」

この後、消防署に電話して適切な利用であった旨を説明したが、隣人の怒りは収まらず、とにかく顔を近づけて大声を出されるのが不快でたまらないので、自宅に逃げ帰るも玄関のドアを隣人が勝手に開け、危うく息子の手が挟まれるところだったので、私の怒りが爆発。

怒りが爆発すると、私は急速に冷静になる。

この男を許さないと思った。

さて、どうしてやろうかと。

まず、その場で夫の父に電話した。

怖さから助けを求めるという体で、弱弱しく震えて「こわい。どうしていいかわからない」と。

こわかった訳ではない。復讐するなら味方が必要だし、味方は社会的地位がより高い方が望ましいから、父でもなく母でもなく義父に電話をした。

父は医療関係者なので、救急車のことなんて言えばすぐに隣人にわかりやすく説明し、持ち前の人当たりの良さで、場を収めただろうけど。それじゃあ、だめなのだ。

義父は隣人と電話で話してくれた。

いつだって頼りになるお義父さん。

冷静で、豪傑で、ユーモアがあって、優しい。

夫が在宅時には絶対に嫌がらせをしない、私が女だからと因縁をつけるような隣人の性格的に自分より社会的地位の高い年上の男性の前では大人しくなるだろうと踏んだが全くその通りだった。

ご主人は、義父から電話で急に大人しくなったし、後日、義父がご迷惑をかけたお詫びにと隣人宅を訪問した際にはご主人は留守だったそうだ。

でも、まだだめ。

だって、お隣のご主人はこれまでもいろいろうちにしてきたもの。

数え切れない覗き見だけでな、ストーキング、ゴミあさり、私にだけでなく、息子に「この子、まだしゃべらないの?障害者なの?笑」と言ったりね。許すわけない。でも警察にもまだだ。そんなの軽い注意で終わってしまう。

とりあえずはマンションの管理会社に連絡。

しかしここで誤算。マンションの管理会社に苦情を入れたのだが管理担当者が無能だった。このの顛末を話しても「あ~そうですか。まあみなさん仲良くね。一度組合の皆さんで総会の後にお食事にでもいきませんか?親睦を深めれば諍いもおさまります」

意味が解らない。つかえない。

 

こういう時にネットは便利。検索すればコンタクトを取りたい人が出てくるし、連絡先もわかるから。えーっとうちのマンションの管理担当の役員クラスは・・・いました。

連絡連絡。

事実のみをまとめた書面、そして音声を郵送。

役員からはすぐに連絡があり、1週間後に「親睦を」とほざいていた管理担当の無能は退職したようでした。

さあ、ここからが本番。

アプローチする人間を間違ってはいけません。

執念深さもADHDの特性ですからね。まだまだ。

 

②につづく。

 

このブログはフィクションを混ぜています。

 

 

 

雑記 雪が降ると思い出すこと 後編

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立春を過ぎてもまだまだ寒い日が続いていますが、皆様、風邪やインフルエンザは大丈夫でしょうか。

私と息子は元気に過ごしております。

昨日、保育園からの帰り道で、

私「なんかいいにおいするね」

息子「・・・カレーだ!」

私「カレーだね。カレー食べたくなる」

息子「カレー食べたい!」

私「ね、今日はもうお夕飯の支度してあるから明日はカレーにしようか」

息子「やったー!」

私「カレー~♪カレー~♪」

息子「何それ(笑)歩いてるとさ、人の家のご飯の匂いがする時あるでしょ?僕、好き」

私「お母さんも好き」

息子「一緒だね」

というやり取りがあったので、今日のお夕飯はカレーです。

ほうれん草とひき肉のカレーと大学芋、蜂蜜とキウイのラッシーという献立。

 

それでは前回の続きを書こうかと思います。

 

さて、まあ、前夫が生理的に受け入れられなくなったので離婚一択なのですが、離婚するとなると、それはもう大変なわけです。

前夫は3回目の離婚だったのですが、それでも精魂尽きたと後日語っていました。

弁護士を間に入れての家と家の話し合いの果てに、離婚が成立しました。

結婚生活において私がほぼ軟禁状態であり、前夫の友人による嫌がらせ(月に5~6回の頻度で突然自宅に来て「客にお茶もたてずに水を出すなんて、嫁として失格」「結婚式で旦那より目立つあんたを見てダメな嫁だとわかっていた」「仕事をしたいなんてわがまま恥ずかしくないのか、今ここで実家に電話してきいてみろ」などとほざく友人が前夫にはおり、彼の訪問がいつも苦痛だった。浮気を疑い尾行されたことも2度あり)があった事実が明らかになったため離婚はすんなりと成立しました。

 

離婚は望んでいたことのはずなのに、前夫の作った檻からやっと出られたのに、私はストレスで食事が摂れなくなりました。左耳が聞こえなくなりました。

19歳の頃から前夫は私の世界の全てでした。

その世界を自分で壊した後、自分の足で立つ方法がわからなかったのです。

私はペットだった。

野生の世界では生きられない。

どうして自我なんてもってしまったのか。

ずっとペットでよかったのに。

突発性難聴で緊急入院した先の病院のベッドで日がな一日そんなことを考えていました。

両親はお見舞いに来ては、「もったいない」「わがままだ」「きずもの」「考え直せ」と繰り返します。

弁護士から禁じられているはずなのに前夫からは何度か着信がありました。

メールも届きました。未練がましさのないメールが一通だけ。

確か、「先日、僕の誕生日にきれいな花束が届きました。送り主は君でした。君のことだから、ずいぶん前に予約して、それを忘れていたんでしょうね。沢山の野の花の花束は君らしくて在りし日を思って少し感傷的になりました。君は君の望むままに進んでください。1つだけ望むなら、死ぬときは君の腕の中で」といった内容でした。

前夫を愛おしいなと思いました。

人と人との関係で全部ダメなんて、なかなかないんですよね。

どんなに絶望的な関係の中にも一滴の光みたいな良い瞬間、なにか救われるような感覚がある。それが錯覚だとしても、本人にとってはその光は本物なわけです。

ハリボテの夫婦関係だったとしても、そのハリボテが私には必要だったのだろうと思います。

 

そう認めると、目の前は開けました。

病院のベッドで履歴書を書いて送りました。

何日か履歴書を書いて過ごしていると不思議と耳は聞こえるようになりました。薬が効いたのでしょう。

退院して、結婚している間は会えなかった友人達と会うようになると、食事ができるようになりました。友人たちは驚くほど優しく、誰も私を非難しませんでした。

あの時はどんなに救われたかわかりません。

食べ物が喉を通らなくてガリガリに痩せた私をみて、みんな食事に連れ出してくれました。友人たちと食べた食事はどれも驚くほどおいしくて、初めて食べ物を口にしたような気さえしたものです。

そして、契約職員ではありましたが、雪深い地方の大学図書館に就職が決まりました。

 

なんとか自立しようと早急に決めた就職先、引っ越した先はひどく田舎です。そんな片田舎の駅から徒歩30分、築15年の大学近くのワンルームのアパートはこれまで住んでいたマンションとは全てが違いました。

確か家賃は5万円ほど。

 

周りには何もなく、4月だというのに一面の雪景色です。

初出勤の日は、大学までの道をスノーブーツを履いて雪を踏みしめて歩きました。

眩しくて、何もなさ過ぎて、なんだか楽しい気持ちになったことを覚えています。

独りだけど、貧乏だけど、もう30歳だけど、好きだった仕事も研究ももうできないけど、でもなんか楽しいな、すごく楽しい!

私は今、楽しい。

だから大丈夫だと雪の中で思いました。

 

おしまい。

 

 

 

 

雑記 雪が降ると思い出すこと 前編

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先日は東京にも雪がざんざか降りました。

雪に興奮した3歳の息子は犬のようにはしゃぎ、積もった雪の中を買ったばかりの長靴で走り、転び、笑っていました。

寒さに頬を真っ赤にして笑う息子、暗い空からどんどん降ってくる雪、積もった雪を照らす街灯、人の気配のないシンとした夜の公園に息子の笑い声だけが広がります。

毎日ききなれている息子の笑い声が途轍もなく神聖なもののように感じました。

私は無宗教なのですが「神様、この子が縁あって私のもとに来てくれたことに感謝します」そう思いました。

雪道で足を取られぬように手を伸ばせば、小さな手で私の手を握ってくれる。

赤くなった頬を両手で包めば、私の頬を冷たい手で包み返してくれる。

こんな存在がこの世にあるなんて。

とても信じられない気持ち。

触れたことのない、私には関係ないと思っていた、完全なる愛としか呼びようのない存在。

 

 

そうそう、雪が降ると思い出すことのお話。

私は過去に1年間だけ雪深い地方で一人暮らしをしていた経験があります。

今から10年ちかく前のことです。

10年前、私は最初の夫と離婚しました。

離婚は私から申し出たことで、離婚したことには一度も後悔したことはないのですが、この離婚は私の心身に、社会生活に大きなダメージを残しました。

前の夫は、私が19歳の頃に一目ぼれして、なんだかんだあって一緒に住むようになり、20代のほとんどすべてを一緒に過ごした人でした。

そして彼が私より26歳年上で私の指導教官でもある大学教授だったこともあり、その生活は単なる同棲でなく、私生活も研究も彼の価値観に染められることを意味しました。

当時はそんなことまるで気が付いてなかったのですが。

 

彼は研究者として成功した部類の人でしたので、非常に博識で余裕があり、経済的にも裕福でした。

朝夕の食事はガラス張りのテラスで、決まった音楽をレコードで流しながらでしたし、話す内容は、世俗的なことを嫌った彼に合わせて文化芸術についてがほとんど。

例えば、行為の後にベッドで話すことも「セザンヌ構成主義の作品の中で君が好むものはどれ?」というような。少し変わった不幸なおとぎ話のような日常です。

私も世俗には関心が薄く、社会の動きなどには一切興味がなかったもので、毎日飽きもせずに、絵画について、詩について、音楽について論じ、さすがに哲学系の研究の第一人者であり教育者である彼の主張、見解は興味深く得るものは多大でした。

前夫は週に3回、午後にしか仕事に行く必要がありませんでしたし、夏冬に長い休みがありましたから私たちは、本当にのんびりと、おいしいものを食べ、美しいものを観て、夏はヨーロッパに、冬は暖かい国や温泉に度々長い旅行に出かけました。まるで貴族のような生活。

そんな生活が7年ほど続きました。

私はいつの間には物の値段を見て買うことをしなくなり、家事は家政婦にまかせ、彼が買ってきた洋服を着て、彼に1人で外に出ることを禁じられても疑問に思わず、高級スーパーで買い物をするくらいしか外出する機会もなく、日がな一日家で彼とセックスするか研究するかの毎日でした。

そしてそんな日々の中で私は大学院を卒業し、それを期に結婚しました。

それが転機。

 

卒業したので私は就職しました。

外の世界に触れたのです。

同時期に私の論文が若手研究者の賞を受賞しました。

評価されたこともあり、仕事はどんどん面白くなりました。

同じ土俵に立ったことで憧れの存在であった前夫の、手の届かない絶対的な知の巨人であると思っていた前夫の弱い部分、卑怯な部分が目につくようになりました。

そしてその彼のネガティブな部分をどうあがいても愛せない自分にも気が付きました。

私は絶対的な存在である前夫を愛していた。彼の書く完璧な論文を愛していた。彼と過ごす日々の余裕を愛していた。

彼を人間として愛してはいない。

弱いところは見たくない。

知りたくない。

あれ、この人は誰だろう?

このくたびれたおじさんは?

 

私がそう思えば思うほどに前夫は私を束縛し、家から出ることを禁じました。末期にはマンションのエレベーターで男性の隣に立ったという理由でなじられたり、仕事を辞めるようにと彼の実家からも随分と言われました。

私の研究が認められることを自分のように喜んで、あなたが私にぴったりだと勧めてくれた就職先なのになぜ?

どこで何が変わってしまったのか。

 

毎日の嵐のような言い争いの中で前夫は大きな家を建てました。

2億円の公民館みたいな家です。

前夫は、ローンは年齢的に組めないので貯金をはたいたのだと、これからは仕事ではなく家庭を、たった一人の家族である君を大事にしたいのだと言いました。

 

全然、雪出てきてないじゃん。

後半に続きます。

 

発達障害者のできること、できないこと

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前回の記事にも書いたように私は自分の携帯電話の番号が覚えられません。

他人の誕生日も覚えられた試しがありません。

今日が何月何日なのか、一日に何度もカレンダーを見ないと忘れてしまいます。

これはADHDの特性である短期記憶障害のためです。

 

電話番号が覚えられないと言うと驚かれますが、記憶力そのものは正常範囲内なので、ボードレールの詩はフランス語で暗唱できるし、過去に読んだ本の内容の細部などはよく覚えています。

どうやら数字を覚えるのが苦手なようです。

 

そして短期記憶の不出来を補うためでしょうか、変わったことができます。

覚えておきたいと意識した場面を画像で保存することができるのです。

目についてるスクリーンショット機能ですね。

例えば、この本のこのページは重要だな、覚えておこうと意識すると、そのページの画像として脳に保存できます。

これは学生時代テスト勉強に役に立ったし、ノートを取る必要もなくて楽でした。

それに私は絵画を観る仕事をしていたので、この能力のおかげでそれなりの発見をして、それなりの研究成果を残すことができました。

まだ公に出ていない撮影できない絵画、個人がそっと見せてくれたコレクションも頭の中に保存しておけばいつでも取り出して見ることができるので、「あー、このこいつ(画家)の日記に書いてあるこの留学先で見た絵って、特徴からいってこの前、あそこ発見されてちょっと見せてもらったあれじゃない?よし画像で思い出して詳しく見よう」ということができるのです。そしてそれがビンゴだった時の嬉しさたるや。

 

まあ、そんなことができても、自分の電話番号が覚えられないのだから、やはり定型の人のバランスよい能力に憧れます。

今日だって家の鍵を持って出るのを忘れて、雪が雪が降る中1時間も家に入れないし(お隣の奥さんが開けてくれた)、もう2週間近く味噌を買うのを忘れて味噌汁が作れなくて澄まし汁ばかり作っているし、息子の保育園の連絡ノートを週に2回は持って行くのを忘れるし。

普通になりたい。

単純に不便だから。

 

最近、読んだ『上智大卒、新人賞受賞作家なのに、あらゆる場面で「戦力外通告」、大人の発達障害のリアル』という記事には、この発達障害の能力のアンバランスさと、それゆえの苦労と苦悩が書かれていて、読みながら、そうそうそうそうそう、と何度も頷きました。

リンクを張りますので、興味がある方は是非読んでみてください。

 

 

特に印象的な部分を引用します。

 

自分は仕事ができない、と思いたくなかった。普通の人ができることをできる人間だと思いたかった。

 ところが、レジ打ち以外の、途中で売上金を数えたり、閉店後にレジを締めたりという仕事が、やはりうまく理解できず、混乱し、いづらくなって、これもふいっと辞めた。

医師に今までの人生をざっくりと話した。自分には精神疾患がある、と私は疑っていた。ところが、医師は臨床心理士に知能テストをするよう命じた。私は言われるままにテストを受けた。WAIS=III式という日本ではごく一般的なバージョンのテストだ。

 数週間後にテストの結果が出た。驚くべき事実が待っていた。

 知能テストは言語性知能テストと動作性知能テストに分類される。言語性知能とは、通常、「偏差値」と関係していて、意識的な学習の成果とされる。これは、いわば思考力の高さを測る物差しである。動作性知能とは、社会で必要とされる様々な「作業」を司る知能である。こちらは、その場その場の環境変化や問題発生に臨機応変に対応できる能力のことである。言語性知能の検査項目は「言語理解」と「作動記憶」であり、動作性知能の検査は「知覚統合」と「処理速度」からなる。言語性知能と動作性知能を合わせた全体的知能の、平均的な知能指数は90~109の間。70~89が「境界例」、50~69が「軽度知的障害」とされる。

 

●抜きん出た言語性知能 平均下回る動作性知能

 私は言語性知能が114と、平均より高かった。ところが、動作性知能は平均をはるかに下回り、「境界例」である74。動作性知能のうちの「処理速度」に至っては66で、「軽度知的障害」のレベルであった。

 両方を合わせた全体的な数値は96と「平均値」に収まっていたが、あまり意味はない。大事なのは、言語性知能と動作性知能の差が40もあるということだ。医師は差が40もあるのは極めて稀としながらも、

「あなたは視覚的で単純な素早い作業が苦手だね。言葉の能力が高いんだから、言葉を使う仕事をすればいいよ」

 と気安く言った。しかし、言葉を使う仕事ができれば世の中を渡れるわけではない。

 私はコーヒーメーカーの掃除であれレジ打ちであれ、仕事ができるようになりたかった。一方で、動作性知能が境界例と診断されたことで、安堵もしていた。自分が仕事のできない理由が分かったからだ。自分はさぼっているのではないか、と思う時ほど罪悪感にさいなまれる瞬間はなかった。でも、それは違った。私の知的水準が低すぎたのだ。

 

わかる。わかりすぎる。

私も昔、コンビニでバイトしていた時、私がレジを担当すると誤差が出たし、お弁当を温めを頼まれると、レンジに弁当を入れた瞬間に弁当の存在を忘れてしまい、弁当以外の商品だけを袋詰めしてお客さんに渡して「ありがとうございました~」と言ったことは数知れない。

マニュアルがある仕事ができない。

決まりごとが守れないというのは、一定の職場ではほとんど無能と同義である。

 

これだから大人の発達障害は辛い。

しかし職は多様である。

そして私たちは労働するためだけに生きているのではない。

何よりもまず、自分のできること、できないことを理解して、そしてできることを活かす職に就けば苦悩は軽減されると思う。

 

自分の能力が生かせる職に就くことはなかなか難しいのだけど、若いうちからいろいろなアルバイトなどの経験を積んで、自分ができることを沢山見つけておくことは後々役に立つと思うので、おすすめです。

私は今までやったアルバイトの中では、真夏に1人きりでパーキングエリヤの戸外で八つ橋の試食販売をしたのが一番向いていたと思っている。

いろんな人が気さくに話しかけてきてすごく楽しかったし、馬鹿みたいに八つ橋は売れました。

やる前までは試食販売なんて絶対に向いていないと思っていたのに。

1人で好きなようにやっていいなら、何やっても楽しいのかもしれないと気が付いた日でした。