発達障害ちゃんと赤ちゃん

39歳。ADHD診断済み。3歳の息子と猫2匹と暮らす。同い年の夫と別居中。

前の夫が雨の日に会いに来る

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雨が降っています。

すっかり秋ですね。

今日は、前夫が私に会いに職場近くに来る予定です。

前夫はこれまでにも何度かこのブログに書いたことがあると思うのですが、私が大学2年生で付き合い出し、修士課程の時には一緒に暮らし、博士課程の時に結婚して、半年で離婚した大学の先生です。

その前夫が最近、月に何度か私に会いに来ます。

特に用はないようで、昼休み会いに来て一緒に食事をしたり、帰る頃に来て自宅までタクシーで送ってくれたりしながら、たわいない話をします。

 

たわいない、本当にたわいない話。

展覧会で観た絵の話。

レストランで食べたバジルソースがかかった大きなホタテが美味しかった話。

彼が画廊で会った画家が私の知り合いの知り合いだった話。

彼の甥が働く博物館の複雑な人間関係の話。

 

私は彼の口から止まることなく出てくるその何でもない話をぼんやりと聴きながら彼の骨が浮き出た手首を、口元の深い皺を、落ち窪んだ眼を眺めます。

共通の知り合いからは病気だと、悪い病気だときいています。

話をしながら何度も咳き込みます。

痰が絡んだ声。

 

見た目も、声もおじいちゃんみたい。

病気のおじいちゃんそのもの。

 

あんなにかっこよかったのに。

素晴らしく美しい顔だったのに。

均整の取れた厚みのある身体だったのに。

何百回と見た彼の裸体がフラッシュバックする。

美しい身体だった頃の彼の裸体。もう無いもの。2度とない戻らないもの。

この人は過去、何年も毎日一緒にお風呂に入って私の体を洗ってくれた人。

もうすぐいなくなる人。

 

過去と今が狭いタクシーの中でぐるぐるする。

ぼんやりする私の手を前夫が握る。

私はそれを振り払う。

私達はもうずっと前からそういう関係ではないから。

前夫は私のその仕草を愉快そうに笑う。

私も笑う。もう全部どうでもいいという気持ち。

笑いが収まり、前夫が私の顔をじっと見るので、「歳をとったでしょう」と言った。

私は歳をとった。

あなただけじゃなく私も歳をとって醜くなった。

彼は少し笑って、「きれいになったよ」と言った。

目を見開く私の手をもう一度握って「会ってくれてありがとうね」と言った。

 

この人はもうすぐいなくなる。

 

嘘つきで、女ったらしで、どうしようもない人。

才能があって何でもできて何でも持ってる人。

私を褒めてくれた人。

研究の仕方を教えてくれた。

自信をくれた。

今書いている文章だって、彼が書き方を教えてくれたから、未だに少し彼の書く文章に似てる。

 

タクシーを降りる時に「また会いに来る?」と聞いたけど、彼は答えなかった。

その目は私をもう見ていなかった。

ああ、この人はもう、過去から現実に戻ったんだなと思った。

だから私も安心して、現実に戻って、息子を保育園に迎えに行って、とてもとても大事だと伝えた。

 

みんないなくなる。私も。だから大事なものはうんと大事にしようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

変わっても残るもの

君が変わって、

私は悲しくなる

 

君が変わって、

私は怖くなる

 

君が変わって、

私はまた元気がでる

 

君がどういうふうに変わっても、

いつも面白く見える

 

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先日、早稲田駅前でビッグイシューを買い、仕事の打ち合わせまでの少し空いた時間にカフェでパラパラの流し読みしていたらこの漫画を見つけました。

 

言葉少ない四コマ漫画

読み出すと周りの音が遠のき、言葉だけが私に染み込みました。

夫のことを思っていたのです。

 

君が変わって、

私は悲しくなる

 

君が変わって、

私は怖くなる

 

君が変わって、

私はまた元気がでる

 

君がどういうふうに変わっても、

いつも面白く見える

 

双極障害になり変わってしまった夫。

発病当初、私は悲しくて悲しくて悲しくて手足に力が入らなくなり、眠れなくなり、食べられなくなりました。

病識がない躁状態の夫、私を敵視して無視するか暴言を吐く夫をなんとか医療機関に連れていかなければと、知識を得なければと奔走しました。

 

夫は躁状態の時とても攻撃的でした。イライラしているのが側から見てわかりました。「死ねよ」と言われ「お前がな」と返し、睨み合い、殴り合いました。何度も。

安定剤がないと眠れない日々が続き、食べられないので、体重は半月で8キロ減りました。

夫は仕事には行かずに毎日フラフラと外出します。病識はない。治療できない。息子はイヤイヤ期。

2000万以上の借金。

ここは地獄だと思いました。

なんてわかりやすい絶望だと。

 

そして躁の次は鬱。

夫は、自殺未遂、精神病院への強制入院を3回、しかし良くならず意識が混濁して意味のわからないことを言いながら徘徊するようになりました。

ああ、この人はもう治らないのかもしれないと思いました。

それでも閉鎖病棟の談話室で話す夫は夫で、私はなぜか絶対に大丈夫だという気持ちなのでした。

医者はいろいろ言うけど、そんなことより夫の姿を見れて話せて嬉しい。夫が喜んでくれてう 嬉しい。明日も明後日もこれから何度もお見舞いに来ようとウキウキしてさえいました。

 

もうあの閉鎖病棟の談話室で取り留めもない話をした日から2年経ちます。

今から思えば、私が夫への愛情のようなものを持ち続けたのは、意地もあったでしょうが、大きな理由としては、夫がどんな状態の時でと息子には親として責任を持って世話し、優しい言葉をかけ、息子も夫が大好きだったからだと思います。

意識が混濁して私のことを自分の母親だと思い込んでいる時さえ、息子のためにとバナナを一口サイズに切りテーブルに出している姿は忘れられない。

自分が今どこに居るのか、私が誰なのかもわからない狂った夫が息子の朝ごはんだよと笑顔でバナナを一口サイズに切り皿に盛っている姿を見て私は、ただただ夫に「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と繰り返しました。

息子は保育園に行っており居ませんでした。救急隊の方がいらしたけれど夫の目には見えていないようでした。

そう、夫はずっと息子が産まれた時からずっとずっと私と同等、それ以上に育児をしてきたのです。

息子を並々ならぬ責任感と経済力、そして愛情で育ててきたのです。

これがあったから1年別居していても息子は夫が大好きだし、離れていても家族なのだと思います。

そして私も夫がどんな状態でも変わらずに大事だと言える。

 

 

今、夫は元気です。

あの頃よりは、ですが。

仕事にも毎日行っています。

相変わらず仕事はとてもできるようです。

私と息子はもうすぐ夫の家の近く引っ越します。

別居の継続は私からの申し出です。

だって離れていても、あなたが変わっても家族だから。

私にとって、あなたにとって、やり易い形を探しましょう。

病気が完全にあなたから遠ざかるまで。

何があっても大丈夫だから。

 

 

 

 

変わるあなたと私

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先日の息子のお誕生日には、夫から山ほどプレゼントが届きました。

 

アマゾンのダンボールどんどん出てくるプレゼント。

溢れるプレゼントが夫が息子を思う気持ちのようで、なんだか泣いてしまいました。

 

夫の息子への気持ち。家族への気持ち。

では、私は夫をどう思ってるのか。

 

以下ポエム調なので苦手な方はご遠慮くださいね。

 

 

夫はきっと、私達のことがプレッシャーだと思う。

守らなくちゃ、幸せにしなくちゃと思ってるのだろうと思う。

そしてプレッシャーから逃げたいと思っていると思う。

苦しいのだと思う。

きちんとした人だから。

 

私ね、あなたに守ってほしいと思ったこと一度もない。

別居してからは息子を守ってほしいと思ったこともない。

幸せにしてほしいと思ったこともない。

あなたには私を幸せにすることはできない。

誰にもできないでしょ普通。

他人に与えられる幸せなんて幸せじゃないもの。

私を幸せにできるのは私だけ。

私の幸せは私のもの。

私の幸せは、私がしたいことをして顔を上げて、自分と向き合い、息を詰めるような努力の末に手に入れる。

お金が必要なら稼ぐ。

評価されたいなら結果を出す。

その上で余裕があれば他人を思いやる。

 

息子だってそうだよ。

彼にはもうちゃんと彼の人生がある。

 

もちろん、あなたを幸せにできるのもあなた自身だけ。

あなたにもしたいことをして幸せになってほしい。

私達を守ろうとか思わなくていい。

不甲斐ないなんて思う必要もない。

もしあなたがホームレスでも生活保護でも私はあなたに対する気持ちは何一つ変わらない。よくわからないけど、たぶそのものを愛しているので。

そんなことより、したいことをしてほしい。

それが、一日中寝てることでもいいんだ。

ただ満たされていてほしいし、あなたの人生の足かせになりたくない。

 

私は正直、あなたを好きなのかとかわからない。産後の不安定な時期に支配したくて苦しかった時期はあるけど、それは執着心だし。

恋愛感情のようなものを他人に持ったことがないし。

でも、わからないけど、とてもとてもあなたが大事だとは思う。

私は潔癖症気味でコンビニのトイレや公園のトイレには入れないし、つり革も持てないし、心が狭すぎて他人のくしゃみや咳払いさえ不快でたまらないのだけど、息子とあなたの身体から出た物は何でも愛おしく感じる。

鼻をかむ音やくしゃみが隣の部屋から聞こえてくるのが好きだと思う。

ほら、大事って感じでしょ。

きっと好きなんだよ。

 

私は発達障害だからなのか単にバカだからなのか、誰かと一緒に幸せになることがとても難しい。

他人がとても遠い。

一緒に幸せなんてきっと無理なのに結婚してしまって、2人で幸せになんて考えたら、頭がクラクラして、夫婦とか家族とかいろいろ考えても全てがよくわからなくて、一緒にいたいのに、私には他人は他人で、遠くて、正しい形を求めて自分に絶望して、あなたを支配しようとして、また絶望した。

他人は遠い。

あなたは遠い。

でも大事。

うまくできなくて、普通の家族になれなくて、私は本当に自分が嫌でたまらなくなるけど、それでも自分で幸せになるから。絶対に最後の1秒まで顔を上げて全てを見てやるから、あなたはあなたでどうか良い人生を。

自分の人生を。

どんな時でも、どんな風になっても大好きだと思うから。

 

自分でも不思議なんだけど、意識朦朧として閉鎖病棟に入院しているあなた(風呂に入ってなくて髪がベタベタで無精髭)も、躁状態の目が爛々としているあなたも、ビルにの屋上からもう死ぬからとLINEしてくるあなたもやっぱり死ねないとLINEしてくるあなたも、出会った頃のおしゃれで頭がきれて大きな会社の管理職のあなたのと全く同じだけ愛おしい。

不思議。

自分のことはいろんなことがある度に嫌いになって自己嫌悪で苦しくてたまらないのに。

 

 

 

息子との過不足ない生活と夫①

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台風の接近により風がビュービュー。

仕事を早めに切り上げて保育園にお迎えに行き、お夕飯の支度をする元気もなかったので、息子と定食屋さんに行きました。

私は生姜焼き定食を、息子はお店の方に言って半分の量にしてもらった小さなオムライスを食べました。

 定食屋のテレビから流れるニュースに「台風で工事現場の足場が倒れたんだって、危ないね〜」「中学生が電車に轢かれたんだって、踏切から中に入ったのかな?危ないね〜」とコメントを付ける息子。

「そうね〜危ないわね〜」と合いの手を入れてくれる定食屋の奥さん。

私は安心して鉄板の上の香ばしい豚ロースの生姜焼きに意識を集中して味わいました。

ここの生姜焼きはとても美味しい。

 

「お母さん、よく食べるねぇ」息子が感心したように言います。

「今日さ、忙しくてお昼ご飯を食べてる時間がなかったんだよ。だからお腹ぺこぺこなの」

「へ〜、頑張ったねぇ」

「朝、美味しいパン屋さんでサンドイッチを買ったのに食べる時間がなくてさ、カバンの中にずっとサンドイッチを入れながらいろんなところに行ったんだよ。サンドイッチがどんどんペッチャンコになっていって悲しかった」

「へ〜、嫌だったねぇ」

息子は基本的に私の話に興味がないのですが、会話をたのしみながらお店でご飯を食べられるなんて、息子が0才から2才までくらいを考えると夢のようです。

過不足ない2人の生活。

毎日とても楽しい。

イライラしない。

笑いが絶えない。

 

でも楽しいからこそ、過不足がないからこそ考える。ここに夫がいたならなと。

 

こういう昔ながらの定食屋のご飯好きだから一緒に食べたいな。

湯豆腐と納豆を注文するだろうな。

何でもない話をしながら食べられたらどんなに楽しいだろう。

 

息子が小さい頃は、3人で外食しても夫の不器用さにイライラしてばかりだった。食事楽しむなんて到底無理で、息子に食べさせることと自分がなんとか口に食べ物を放り込むだけ。味なんかしない。

 

早く早く早く泣いたらどうするの…

あーあーもう、なんで先を読んで行動しないの…

頭を使ってよ、リラックスしてどうするの…

私ばっかり私ばっかり私ばっかり私ばっかり私ばっかり…

私はね、平日は一日中軟禁された奴隷みたいに息子の世話しかしてないんだよ…

それなのに休みの日ぐらい、食事の間ぐらい息子を満足にみれないの…

それって親なの?

あなたは親なの?

 

あ、隣のテーブルの若い女の子を見てる…

ああ、ああ、ああ、たぶんあなたは親じゃないのね。

 

頭の中の憎しみが煮詰まる。

もう全部がしんどい。

私は私が何より嫌だ。

 

だって夫は、だって夫は、私と息子のために仕事を休んでくれる。いつでも一番に考えてくれてる。

息子と夜一緒に寝てくれる。

育児も家事なんでもやってくれる。

そるだけじゃない

住みやすい土地に3LDKの新築を。

食洗機を。

ルンバを。

洗濯乾燥機を。

欲しいものがあればAmazonほしい物リストに入れておけば買ってくれる。

自由に使えるお金もくれる。

私は夫と外出してもお財布を出したことがない。

 

これ以上にない夫。

素晴らしい夫。

お金持ちで、頭が良くて、優しい。

 

でも私はどんどん苦しくなっていって、夫を憎み出している。

 

醜い私。

無職の私。

おまけに病気。

 

私は、私は、夫が憎かったのだろうか。

今となっては違う気がする。

私は、あまりに全てが変わってしまった自分の置かれた状況が憎かった。

 

以前、このブログで産後の生活やその時期の心理状態について書いたことがあるのだけど、続きが書けずに途中でやめてしまった。

書いた後、いろいろ思い出したからだろうと思うのだけど、眠れなくなったり、ひどく暗い気持ちになって訳もなく泣いたりするようになってしまったので、書くことを諦めた。

そんなトラウマになるような生活。

かわいい赤ちゃんがいるのにね。

 

 

長くなるので②に続きます。

 

 

 

仕事は大変だけど

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貧乏なので、先月から定職に就きました。なので最近は大体毎日仕事に行っています。


お前、今更何言ってるの?って感じですが、働くって大変ですね。

体力も精神力もすごいいる。大変。


だって、まず毎朝寝坊しないで起きるのが大変だし、ブラジャー着けて化粧して小綺麗なアイロンかけたシャツとスカートに身を包むのも息苦しくて大変だし、駅まで行って時間通りに職場に着く電車に乗るのも大変だし、職場の人に変な奴だと思われないように精一杯普通の受け答えを意識してするのも大変だし、仕事中ぼんやりしないで仕事をこなすのも大変だし、打ち合わせの場所に時間通りに到着するのも大変だし、初対面の依頼主と程良い距離感で談笑するのも大変だし、その日の仕事をなんとかやり切った後に頭を切り替えて育児に集中するものすごくすごく大変だし、めちゃくちゃ疲れてる日に限って深夜まで息子が全然寝てくれなくて「お願いだから寝てよ!」って大きな声で言ってしまって息子がシクシク泣きながら「僕も寝たいけど寝られないんだよ…」と言って、ああ、なんてこと、眠りなんて息子の私的で生理的なものを私の都合で管理、大声で支配するなんて最低…私は最低なクソ親…と落ち込むのも大変だし、謝罪後落ち込む私に気を遣って「大丈夫、僕、泣いてないよ。あのね、今笑ってたの。笑ってる声と泣いてる声、お母さん間違っちゃったね」と慰めてくれる優しい息子に対して自分が不甲斐なく、育児する自信ももうなんか全然無くなってしまい、私なんのために生きてるの…?このままじゃダメだしっかりしなくちゃ、しっかりしなくちゃ、しっかりしなくちゃ…と思いながら眠りにつくのも大変だし、とにかく仕事するのは大変。


もう無理、全部無理と思って駅のホームでフリーズしたりします。


でも仕事って、評価されるからいい。


私の親は、私を日常的に、息をするように否定する人でした。


例えば、実家に帰省中に親とコンビニに買い物に行って、私は除光液を買いました。

ペディキュアを塗り直そうと思ったからです。

母は袋の中から除光液を取り出し、顔をしかめながら私の目の前にかざして言います。

「お母さんもワカコ(妹、仮名)もこういうの使ったことないわ。お母さんはずっとあんた達の世話でこんなのする暇なかったし、ワカコはね、仕事があれ(医療職)だからかわいそうにできないからね。あんたも子どもがいるのにねぇ、赤い爪して米もときげない母親なんて、何考えてるのか情けないわ」


お母さん、育児なんてしてないよね。子どもは嫌いだってイライラさせるなって私のことはおばあちゃんに任せきりだったし、お母さんの昔の写真、子ども連れてていても全部ミニスカートにハイヒールだよね。化粧もケバいし。

妹は医療職の前、何年も夜の店で働いていたからずっとギラギラのジェルネイルだったよ。

あと、赤いのは私の足の爪だよ。足で米は研がないよ。

ぼんやりと何か発言すべきなのか考えてみても母のギラギラした目と荒い鼻息を前にすると「ああ、ごめん。気をつける」としか言えませんでした。

虫除けスプレーをして出かけようとすれば「あー臭い!香水なんてお母さんはつけたことないわ!」と言われるし、一事が万事この調子なのです。虫除けがそんなに臭く感じるなんて、お母さん虫なの?と思って少しおかしかったのですが。


私が物心ついた時からずっと毎日毎日くだらない因縁をつけてくる母。

幼い頃から何をしても否定され、私の自己肯定感は低く低くなりました。


仕事はそんな私の低い低い自己肯定感を高めてくれる。

認めてくれる。評価してくれる。喜んでくれる。

だから大変でも頑張る。

それになんと言ってもお金が必要だし。


ここ最近、このブログを見てくださる方がとても増えました。

しかしながら、あまり面白い記事が書けるわけでもなく(自己肯定感低い)、更新頻度が高いわけでもないので、割とマメに更新している私のtwitterのアカウントを下記に記します。

よろしければご覧ください。

いつも読んでくださりありがとうございます。


twitter @hitomitoguri

他人の不幸と引っ越し

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ご無沙汰しております。
暑い日が続きますね。

さて、夫の自己破産により競売にかけらた自宅が買主の手に渡ることとなりました。
とうとう引っ越しです。

今後の生活について話し合った結果、引っ越し先は足立区の夫の自宅の近くにすることになりました。

自宅が競売で落札され、買主である不動産屋には、夜中にインターホンを連打されたり、賃料を払って住んで良いよ〜と言われて払って住もうとすると賃借契約の際に「奥さん、今から時間ある?」と言われ何故か手を恋人繋ぎされたり、振り払い「クソが!」と言うと、即裁判所から引き渡し命令が届いたり、着信が1時間に20回くらいあったり(今日)としたくない経験のオンパレードでしたが、まあ、どうでもいいし、引っ越しも悪くないなと思っている次第です。
不動産屋のおじさんは70代のチンピラ風なのですが、70代チンピラ風男性から恋人繋ぎされた私の手…かわいそう…とは少し思いますが。

昨日、twitterをぼんやり眺めていたら、不動産関係の方のツイートが目に留まりました。
そのツイートは、荒れ果てた無人の室内の写真に「これ任意売却で売られた家。窓外れてる。カレンダーは2014年で止まってる。こんなんでついこないだまで住んでたんだから悲惨」「子どもの躾した後とかあるけど、子ども躾るぐらいなら、金ちゃんと返せよ」とコメントがつけられていました。
確かに写真に写された室内は荒れ果ており、壁には穴、窓外れていました。しかしそこには、柱に子どもの身長を測った記録があり、子どもさんへのメッセージが書かれた紙が貼ってあったりと住人がお子さんと普通に暮らしていた痕跡も残されていました。

きっと私が自宅を競売にかけられたりしなければ、見てもなんとも思わなかったと思います。
もしかしてツイート主のように悲惨だと、こうはなりたくないと思ったかもしれません。

当事者となった私は、
私の家がこんな風に、人生に失敗した人の例として晒されたら悲しいなと思いました。
だって他人の人生がいくら悲惨でもそれを晒すなんて、自分は違うからとでといいたいのかしら。

ちやんとした仕事をしてるから?
この人みたいに愚かじゃないから?
借金なんてバカがすること?

借金は確かに褒められたことではありません。
でも、他人の人生には他人の事情があるんだよ。
結婚した当時、夫は何人もの女性から求愛されるモテモテのあのバチュラーと同等のスペックだった。
素晴らしい収入、学歴、容姿。
まあ、バチュラーとは違って挙動不審のコミュ障だったので、全くモテたことはなく、それ故に私と結婚することになったのだけど。

それが、あら不思議!
3年後には精神疾患の自己破産ですよ。
閉鎖病棟に入院、借金2000万ですよ。
ウケる。

つまり、人生何があるかわからないし、他人の事情も知らんくせにごちゃごちゃ言ってんじゃねぇぞってことです。
それにそれは誰にでも起こり得るものだから。

そして人生はいくらでも巻き返せる。
この半年で、夫は転職して収入が増えた。
別居後ほぼ交流がなかったのに、息子と私に会いに来るようになった。
双極性障害の波も穏やかで寛解といえる状態になった。
私も定職につき安定した収入を得るようになった。
息子は相変わらず素晴らしい子どもで、彼の成長により育児ストレスはほぼなくなった。
もうすぐ夫の家の近くに私達は暮らす。
家族の時間が増える。
きっと楽しいことも増える。

私は最後の1秒まで顔を上げていようと思っていた。絶対に幸せになってやると思っていた。
息子が大事だと。
やっぱり夫も大事だと。
超絶貧乏で超絶不幸な時も馬鹿みたいに思っていた。

今も思っている。私は勝つからと。
かかってこいやと。
なぜなら息子と夫が好きだから。

もっともっともっともっともっともっと幸せになってやる。

足立区で。

日々の生活と変化

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ご無沙汰しております。

ブログの更新をずいぶん長い間せずにいました。

このままやめようかなとも思ったのですが、今後は日記のような形で続けていけたらと思います。

 

2か月ほど前から、約1年間にわたり交流がなかった夫が自宅に来るようになりました。

夫の考えていることはいつだって全くわからないのですが、彼が何を考えていてもそんなことはどうでもよくて、単純に定期的に会えることがうれしい。

息子もとても喜んでいます。

そして彼は転職したらしいです。

毎日忙しそうで、息子がテレビ電話をかけると大抵は職場で出てくれます。職場の喧騒の中で息子におどける夫を見ると、息子は愛されているのだと感じます。

そう、夫は息子を愛している。

 

別居後、頑なに私たちに会わない夫に対して、

1年間息子に会わないなんて信じられない。

顔が見たくないのか。

人の心がないのか。

一人での育児がどれほど大変か。

親としても責任から逃げるのか。

精神疾患を免罪符に家族から逃げるなんて卑怯だ。

と思っていました。

思っているというか呪っていました。

誰からの援助もない、誰にも助けてと言えない育児はそれはとても追い詰められるものだったし、どうして私ばっかりと、夫だけ一人気楽で、と何度も歯をぎりぎり鳴らしました。

なめてんのかと。

サイコパス野郎がと。

 

しかし、そんな感情は半年ほどでなくなりました。

息子と過ごす喜びの方が、一人きり育児の辛さを上回ったからです。成長した息子と共に過ごすことは楽しくて、こちらが面倒をみなくてはいけない子どもではあるのですが、大抵のことは自分でしてくれるし、一人の人間としてきちんと尊重しさえすれば、親子関係は問題なく穏やかに過ごせるようになりました。

いつの間にか。

もうすぐ4歳になる息子。

この4年間の変化。

 

夫が息子にしてくれたこと。

毎日一緒に眠り夜泣きに対応。

毎日洋服を選んで着せる。

朝ごはんを用意して食べさせる。

保育園への送り。

私の体調が悪い時には仕事を調整して一緒に過ごす。

予防接種や健診へ連れていく。

どんなに辛くても笑顔で対応する。

どんなに辛くても息子と一緒にいるときは優しく対応する。

 

 

夫には夫の気持ちがある。

その当たり前のことよりも、私は夫に「完璧な父親」を求めていました。

息子の父親としてちゃんとして。

息子にとって有益であれと。

だって私はこんなに「完璧な母親」になろうと必死だもの。

もっとできることをやってよ。

もっと、もっと、もっと、できるでしょ?

そう思ってました。

 

夫は双極性障害の症状がピークで意識障害を起こした時、そこに息子がいないのに、救急車を呼んで待っているのに、息子のためにバナナを一口大に切って器に盛りつけました。息子の朝ごはんの用意をしてたのです。

そして私に「準備したからね。大丈夫だからね」と言いました。

その焦燥感に駆られた痛々しい表情を今でも思い出します。

夫は息子を大切に思い愛している。

それは間違いありません。

 

問題は私が夫を大切に思い愛してるかということかもしれない。

夫のためなら何でもする、何でもしてきた。

でもそれは息子の父親だからだという気もする。

そうなのかな。

全部がそうじゃないとも思う。

夫が元気にしていると嬉しいし、笑っていても嬉しいし、おいしそうにご飯を食べていても嬉しいし、夫をいじめたり、悲しませたりする奴がいたら必ず私が社会的に抹殺してやると思うから。