発達障害ちゃんと赤ちゃん

37歳無職。ADHD。同い年の夫(双極性障害)と2歳3か月の息子と世田谷区に暮らす。わりといつも離婚5秒前。

もしありのままの私を親が受け入れてくれてたら

f:id:unohitomi:20170118112443j:plain


夫のアスペルガー症候群のこと、自分のADHDのこと、このところ発達障害について調べる機会が増えました。

そして調べるほどに、発達障害者は、子どもの頃に親に発達障害の特性を持ったありのままの自分を受け入れられたどうかで、その後の人生が大きく変わるということがわかりました。

 

 ADHDの人は社会不適合感を抱いたり、さまざまな合併症を示したりする頻度が一般の人と比べて高いのですが、その理由は小児期から失敗体験と挫折体験を重ねていて、成功体験や達成感が少ないからです

 しかしADHDの人でも、成功体験や達成感を重ねて、合併症を示さずに社会に適応している人がたくさんいます。社会に適応して合併症を示さないためには、まず小児期の早期にADHDを発見して適切な治療とケアをおこない、思春期・青年期の二次的情緒障害を予防することが極めて大切です。

※『知って良かった、大人のADHD』著 星野仁彦より引用

 

そうか、発達障害であることを認めてもらって、療育していたら今のように生きづらさを抱えていきなくてもよかったのかもしれないんだ。

自分の特性を受け入れて貰える。

それは、なんてまぶしいようなあたたかいような世界なんだろうと思います。

 

私の忘れっぽさ、私の記憶力の悪さ、私の不器用さ、私の運動神経の悪さ、私の空想癖、私の集団行動の苦手さ、私の疲れやすさ、私の過集中、私の普通にできなさ。

これらを子どもの頃から否定されて、叱られて、「どうしてできないの?」「やるきをだしなさい」「ふざけるな」と繰り返し言われてきました。

どんなに努力してもできないことをそんな風に言われるとは、とてもとても悲しいことです。

まだ子どもだから、どうしても努力してもできないこと、怠けているわけではないことを上手く説明することもできません。

ただただ、私はダメな子なんだ。お母さん、お父さんダメな子どもでごめんなさい、と思うだけです。

ダメな子だから大事にしてもらえないんだねと。

 

特に母親は私を嫌っていたのもしれないと思うことすらあります。

私は母に褒められた記憶が一度もないし、母と遊んだ記憶もないし、母から大事にされていると思った記憶もないのです。

彼女はいつもイライラしていて、ちょっとしたことで癇癪を起すので、私はいつも怯えていたし、話しかけるとめんどくさそうにぼそぼそと答える母は、とても私のことがかわいいとは思っているようにはみえませんでした。

私も母のことを好きだと思ったことは唯の一度もありません。

それどころか、居なくなってほしいと思っていました。

この人がいなくなれば楽になるのにと。

 

大人になって母子関係が改善したかといえば、そんなことはなく、距離をとって母への負の感情は少し薄れましたが、母のことは好きになれません。

おそらく母も。

 

母が私をもて余していることは、例えば彼女が関西の実家から私の自宅に遊びに来た一日を振り返ってもよくわかります。

 

私が体調不良で入院しなくてはならず、母が2歳になったばかりの息子を1週間ばかりみてくれる予定だったのですが、母は機嫌を損ねて2日で帰ってしましました。

機嫌を損ねた理由は、保育園への道順がわからずにお迎えに遅刻して、保育士に注意されたからです。

夫は双極性障害で長期入院中しているし、どうしても入院が必要で、すがる思いで頼んだのに。

母はぷりぷりと怒りながら帰ってしましました。

結局、無理を言って夫に退院してもらい、1週間の入院予定を3日にしてもらいなんとか入院治療することができました。

夫の治療的にも、私の体調的にもぎりぎりです。

私が母親からの愛情を感じないのもわかってもらえると思います。

 

母には私が発達障害と診断されたことは話していません。

母は幼児教育に携わる仕事をしていたので、発達障害の知識はもっています。

もし、「私は発達障害なんだよ。いろんなことが普通の人と同じようにできないのは発達障害の特性なんだよ。怠けているわけじゃないんだよ。だから子供の頃、怒られて悲しかったんだよ」と母に言えば、彼女はなんと応えるでしょうか。

私は母のことを考えると途端に頭がぼんやりするので、想像することができません。

これ以上傷つきたくないから。

私はこれからも母から受けた毒を背負って行くのだろうと思います。


 

もし発達障害の私を、ありのままの私を、親が受け入れてくれていたら、私はいったいどんな人生を送っていたんだろうと考えることがあります。

少なくとも3回も結婚することはなかったんじゃないかなとか。