発達障害ちゃんと赤ちゃん

37歳無職。ADHD。同い年の夫(双極性障害)と2歳3か月の息子と世田谷区に暮らす。わりといつも離婚5秒前。

女の子というだけの価値に依存したころ

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ADHDの私は、物心ついたころから集団生活が苦手で、忘れ物が多くて、いつだってぼんやりしていて、運動が苦手で、空気が読めなくて、人といるととても疲れてしまって、そんな自分が嫌だからオドオドして空回り。

そしてそんな私の様子が自らを優秀だと信じる両親の気に障り、叱られたりうんざりされたり。

 

いつも、どこにいても、

なんだかここは嫌だな。

周りの人はみんなちゃんとしていてすごいな。

私はダメだな。

ここはなんだかとても疲れる。

どこか静かでだれも私に関心のないところに行きたいな。

と思っていた子どもの頃。

 

普通のことができない自分にはなんの価値もないと思っていました。

自己肯定感が全く育っていない子どもだった私が初めて他人に必要されていると強烈に感じたのは、性的対象とされる年齢になった時でした。

自分を認められたいと切に願う少女なんて、肉体消費することが目的の男性にとっては格好の獲物です。

 

これまでマイナスだったADHDの特性は、消費する立場の男性からすればよいことばかり。

忘れっぽくて、ぼんやりしていて、自分に自信がないから、全肯定してやれば喜びまくり、自分を信じ切る。

自己肯定感がなくて生きずらさを感じている女性は男性に騙されやすい傾向があるように思います。

 

人間として認められたことがないから、女の子としてだけの価値で評価されていることに満足して喜んでしまう。

そして依存しやすいという特性もあるので、自分を褒めてくれる相手を無条件に信頼して依存してしまう。

私の10代の頃の恋愛は全てこんな感じでした。

 

恋愛というよりは、両親から与えられなかった肯定を求めてさまよい、なんだよ体だけかよこちとら無償の愛を求めてるんだよ!と別れるその繰り返しでした。

自分を肯定してくれる相手を探して見つけて一緒にいるはずなのに満たされない。

相手は私を女の子としてはかわいがるけれど、人間として無償の愛を与えてはくれない(当たり前)。

その事実に絶望しながらも、今度こそは!と次々男性と付き合っては別れ、別れるたびに男性を嫌いになった。

自分を消費する男性の性欲を憎んだ。

 

自分に自信がなくて、相手に自分を受け入れることだけを求める女にはそれ相応の男しか寄ってこないし、その男が自分を無償で愛してくれることなんてない。

どうしてそれがわからなかったのか今となっては不思議です。

 

10代の頃のように相手に無償の愛を求めることはしなくなりましたが、私は成人してからもふらふらと女の子としての価値だけで男性に消費されることを選んできました。

 

元夫が私をペットのようにかわいがることにうんざりしながらも対等な関係より、ペットとしていることが楽だっただと思います。

自分のことを好きじゃないし、愛情を、肯定を求めるだけで誰かに愛情を持ったとこもなかったので。

 

私は結婚するまで家賃を自分で払ったことがありませんでした。

男性が持っているマンションや結婚しようと買ってくれた家に住んでいたので。

あのころを思い出すと私は娼婦と同じようなものかもしれないと思います。

手取り30万の公務員だった頃に住んでいたマンションの家賃が45万円だったのにそれを疑問に思うことはありませんでした。

 

自尊心が低くて自分の人間としての価値は皆無だと思っているから、女として消費してくれる男性に価値を付けられると安心するという側面があり、その女としての価値の感覚が徐々に麻痺していったのだと思います。

男性からの無償の愛情をあきらめた代わりに、お金をかけてもらうことで自分の価値を確認していたのでしょうね。

寒々しいな私。

 

前回のブログに

あのね、私はね、夫と出会って、息子を産んで、これまでの人生で私が落っことしてきたものを拾い歩いているような感じなの。

家族がね、とても大事だよ。

と書きましたが、結婚するまでの私は本当にろくでもなくて、荒くれたチンピラみたいで、いまだに他人に対する愛情とかよくわからなくて、でも息子を産んでから、あと夫が双極性障害を発症してからこれが愛情?これが・・・?噂の・・・?と思うことがあります。

 

息子と夫一緒にいるとなんかあったかい気持ちになる。

子どもの頃におじいちゃんおばあちゃんと過ごした土曜日の昼下がりみたいな気持ちになる。

すごく安心して柔らかいこの気持ちはなんだろう。

夫に出会ってよかったな。

息子も産まれたし。

夫はアスペルガー症候群だし双極性障害だし借金があるけれど、私を女としてだけでなくて、人間として一緒にいてくれるから好きなのかもしれない。