発達障害ちゃんと赤ちゃん

37歳無職。ADHD。同い年の夫(双極性障害)と2歳3か月の息子と世田谷区に暮らす。わりといつも離婚5秒前。

虐待されたのはなぜか

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さて、前前回からの続きです。

今日で母の話は一旦おしまいです。


母が軽度の知的障碍者だと診断されてから心が軽くなりました。

母は私が憎くて虐待していたわけではない。

まして私に虐待される非があったから虐待されていたわけではない。

そう思えました。

ようやく。

 

 

一般的に虐待は連鎖すると言われていますが、話しを訊く限り母自身は虐待されたことはなく、どちらかと言うと、京都の織物屋のお嬢さんとして甘やかされて育ったようです。

なので、そんな母が虐待するのは、私に原因があるのだとずっとどこかで思っていたのでした。

しかしそうではなかった。

母には障害があった。

 

ああそうか、母が私を、私と妹を罵ったり、殴ったり、物を隠したり、飼っていたハムスターを踏みつぶしたり、猫を捨てたり、生焼けの鶏肉や豚肉が頻繁に食卓に上がったり、大事にしている洋服ほど洗濯に失敗してダメになったり、生後二か月だった私の息子を車の後部座席にチャイルドシートもなく座らせたり(座れないし転がり落ちたと笑っていた)しても悪気も罪悪感もないのは、私のせいではない。

そう思えたことで、何か霧が晴れたような気持ちになりました。

 

同時に、母も悪くない。

そう思えました。

彼女は彼女でたぶん、必死だったのだと。

思い起こせば、母はいつもできないことを必死で誤魔化していました。

簡単は漢字が書けないこと、学校に提出する用紙の記入の仕方がわからないこと、いつも左右を間違えること、料理をいつも失敗すること、車を何度も何度もぶつけること。

そして、感情のコントロールが未熟で、すぐに子どもにキレること。

誤魔化して、誤魔化して、逃げて、逃げて、子どものせいにして、姑のせいにして、職場のせいにして、私は悪くないもん!私は悪くないもん!私は悪くないもん!

 

こんなに一生懸命やってるのに。

 

そうやって生きてきた母。

 

診断した医師に母は、あなたのIQは小学5年生くらいだと言われたそうです。

小学5年生が、母親になり子どもを3人育てるのは無理です。

子育て、家庭運用は忍耐の連続。

母の時代ならなおのことだと思います。

 

母には母にしかわからない傷があるのでしょう。

しかし、私には私の傷があります。

悪くないと憎くないとは別な話なので、私が母を憎まなくなるにはまだまだ時間が必要だと思います。

 

虐待されたこと、それは私のせいでも、母のせいでもない。

では、私の胸の内にあるマグマのような怒りと憎しみはいったいどこにぶつければよいのでしょう。

普通のお母さんに育てられたいと泣く私の中の子どもは何と言って慰めてあげたらいいのでしょう。

 

それは、きっと、今の自分が幸せになるしかない。

息子を精いっぱいの愛情で育てる。

好きな仕事をする。

自分の好きなことをして、自分の好きな人とだけ親しくなる。

嫌なことをケチな損得勘定でしたり、他人の顔色を気にしてしたりしない。

できるだけだけど、そうする。

そして時々、自分の中の泣いている子どもに、「大丈夫、こわくないよ。傷つかなくてもいいんだよ」と言ってあげる。

 

これでマグマは消えるのかな。

わからないけれど、息子を育てることで私の中の泣いている子どもがよく笑うようになったのは事実です。

 

明日は息子と商店街の福引に行く予定です。

そんなことだけで息子が一緒だと楽しい。

夫が一緒だともっといいのだけれど。

 

夫は私と息子が年末年始に旅行に行っている間、猫の世話をしに自宅に来てくれるらしいのです。

ありがとう。