発達障害ちゃんと赤ちゃん

37歳無職。ADHD。同い年の夫(双極性障害)と2歳3か月の息子と世田谷区に暮らす。わりといつも離婚5秒前。

発達障害者のできること、できないこと

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前回の記事にも書いたように私は自分の携帯電話の番号が覚えられません。

他人の誕生日も覚えられた試しがありません。

今日が何月何日なのか、一日に何度もカレンダーを見ないと忘れてしまいます。

これはADHDの特性である短期記憶障害のためです。

 

電話番号が覚えられないと言うと驚かれますが、記憶力そのものは正常範囲内なので、ボードレールの詩はフランス語で暗唱できるし、過去に読んだ本の内容の細部などはよく覚えています。

どうやら数字を覚えるのが苦手なようです。

 

そして短期記憶の不出来を補うためでしょうか、変わったことができます。

覚えておきたいと意識した場面を画像で保存することができるのです。

目についてるスクリーンショット機能ですね。

例えば、この本のこのページは重要だな、覚えておこうと意識すると、そのページの画像として脳に保存できます。

これは学生時代テスト勉強に役に立ったし、ノートを取る必要もなくて楽でした。

それに私は絵画を観る仕事をしていたので、この能力のおかげでそれなりの発見をして、それなりの研究成果を残すことができました。

まだ公に出ていない撮影できない絵画、個人がそっと見せてくれたコレクションも頭の中に保存しておけばいつでも取り出して見ることができるので、「あー、このこいつ(画家)の日記に書いてあるこの留学先で見た絵って、特徴からいってこの前、あそこ発見されてちょっと見せてもらったあれじゃない?よし画像で思い出して詳しく見よう」ということができるのです。そしてそれがビンゴだった時の嬉しさたるや。

 

まあ、そんなことができても、自分の電話番号が覚えられないのだから、やはり定型の人のバランスよい能力に憧れます。

今日だって家の鍵を持って出るのを忘れて、雪が雪が降る中1時間も家に入れないし(お隣の奥さんが開けてくれた)、もう2週間近く味噌を買うのを忘れて味噌汁が作れなくて澄まし汁ばかり作っているし、息子の保育園の連絡ノートを週に2回は持って行くのを忘れるし。

普通になりたい。

単純に不便だから。

 

最近、読んだ『上智大卒、新人賞受賞作家なのに、あらゆる場面で「戦力外通告」、大人の発達障害のリアル』という記事には、この発達障害の能力のアンバランスさと、それゆえの苦労と苦悩が書かれていて、読みながら、そうそうそうそうそう、と何度も頷きました。

リンクを張りますので、興味がある方は是非読んでみてください。

 

 

特に印象的な部分を引用します。

 

自分は仕事ができない、と思いたくなかった。普通の人ができることをできる人間だと思いたかった。

 ところが、レジ打ち以外の、途中で売上金を数えたり、閉店後にレジを締めたりという仕事が、やはりうまく理解できず、混乱し、いづらくなって、これもふいっと辞めた。

医師に今までの人生をざっくりと話した。自分には精神疾患がある、と私は疑っていた。ところが、医師は臨床心理士に知能テストをするよう命じた。私は言われるままにテストを受けた。WAIS=III式という日本ではごく一般的なバージョンのテストだ。

 数週間後にテストの結果が出た。驚くべき事実が待っていた。

 知能テストは言語性知能テストと動作性知能テストに分類される。言語性知能とは、通常、「偏差値」と関係していて、意識的な学習の成果とされる。これは、いわば思考力の高さを測る物差しである。動作性知能とは、社会で必要とされる様々な「作業」を司る知能である。こちらは、その場その場の環境変化や問題発生に臨機応変に対応できる能力のことである。言語性知能の検査項目は「言語理解」と「作動記憶」であり、動作性知能の検査は「知覚統合」と「処理速度」からなる。言語性知能と動作性知能を合わせた全体的知能の、平均的な知能指数は90~109の間。70~89が「境界例」、50~69が「軽度知的障害」とされる。

 

●抜きん出た言語性知能 平均下回る動作性知能

 私は言語性知能が114と、平均より高かった。ところが、動作性知能は平均をはるかに下回り、「境界例」である74。動作性知能のうちの「処理速度」に至っては66で、「軽度知的障害」のレベルであった。

 両方を合わせた全体的な数値は96と「平均値」に収まっていたが、あまり意味はない。大事なのは、言語性知能と動作性知能の差が40もあるということだ。医師は差が40もあるのは極めて稀としながらも、

「あなたは視覚的で単純な素早い作業が苦手だね。言葉の能力が高いんだから、言葉を使う仕事をすればいいよ」

 と気安く言った。しかし、言葉を使う仕事ができれば世の中を渡れるわけではない。

 私はコーヒーメーカーの掃除であれレジ打ちであれ、仕事ができるようになりたかった。一方で、動作性知能が境界例と診断されたことで、安堵もしていた。自分が仕事のできない理由が分かったからだ。自分はさぼっているのではないか、と思う時ほど罪悪感にさいなまれる瞬間はなかった。でも、それは違った。私の知的水準が低すぎたのだ。

 

わかる。わかりすぎる。

私も昔、コンビニでバイトしていた時、私がレジを担当すると誤差が出たし、お弁当を温めを頼まれると、レンジに弁当を入れた瞬間に弁当の存在を忘れてしまい、弁当以外の商品だけを袋詰めしてお客さんに渡して「ありがとうございました~」と言ったことは数知れない。

マニュアルがある仕事ができない。

決まりごとが守れないというのは、一定の職場ではほとんど無能と同義である。

 

これだから大人の発達障害は辛い。

しかし職は多様である。

そして私たちは労働するためだけに生きているのではない。

何よりもまず、自分のできること、できないことを理解して、そしてできることを活かす職に就けば苦悩は軽減されると思う。

 

自分の能力が生かせる職に就くことはなかなか難しいのだけど、若いうちからいろいろなアルバイトなどの経験を積んで、自分ができることを沢山見つけておくことは後々役に立つと思うので、おすすめです。

私は今までやったアルバイトの中では、真夏に1人きりでパーキングエリヤの戸外で八つ橋の試食販売をしたのが一番向いていたと思っている。

いろんな人が気さくに話しかけてきてすごく楽しかったし、馬鹿みたいに八つ橋は売れました。

やる前までは試食販売なんて絶対に向いていないと思っていたのに。

1人で好きなようにやっていいなら、何やっても楽しいのかもしれないと気が付いた日でした。