発達障害ちゃんと赤ちゃん

39歳。ADHD診断済み。4歳の息子と猫2匹と暮らす。同い年の夫と別居中。

ADHDの産後⑤ ほどほどができない私が見た育児地獄

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私たちは仲良しだった。

出かけるときはいつも手を繋いだ。

タクシーの中でも手を繋いだ。

夫はこれまでに出会ったどんな男性よりも無垢で、聡明で、美しく、なにより私を女体としてではなく人間として大切にしてくれていると感じた。

それは舞い上がるほどに嬉しいことだった。

事実私は舞い上がり、結婚した。

夫の心の移り変わりはわからいけれど、夫も私のことをとても好きなようだった。

 

しかし突然の暗転。

かわいい赤ちゃんを産ん私は夫を敵視するようになった。

ふわふわと自分のことだけ考えてきた私は、息子を産んで焦った。

この子の全てが私にかかっている。

命が、未来が私の手にある。

 

正しい生活習慣と食生活で健康な身体を、美しいもの優しいものに触れた時に受け入れられる柔らかな心を、理不尽な目にあった時に悪意を向けられた時に立ち向かい乗り越える強さを、私はこの子に与えなくてはならない。

下地を整えなくてはならない。

大事な大事なかわいい赤ちゃん。

出来ることはなんでもしてあげたいから。

私にできるかしら?

 

 

当時私は未診断だったものの自分が普通よりも劣ってる自覚があった。

私はすぐに忘れる。

私はすぐ疲れる。

私は集中すると周りが見えない。

私は時間の感覚がよくわからない。

私はちゃんとできない。私は普通のことができない。

どうしよう。

赤ちゃんの命にかかわるミスをしたらどうしよう。

しっかりしなくちゃ。

大丈夫、しっかりしようと思えばできるから。

大丈夫、それで仕事も研究もやって来たんだから。

それで評価されてきたんだから。

大丈夫。

仕事だと思えばいい。

研究だと思えばいい。

できる。

大丈夫、やれる。

大事なかわいい赤ちゃん。

 

私の仕事や研究の仕方は、完璧主義です。

匙加減と言うものがわからないのです。

どこが手を抜くべきところなのか、どこか力を入れてすべきところなのかさっぱりわからないので、全てを全力でします。

0か100。

黒か白。

それが賢いやり方ではないこと、それが自分を追い詰めることは重々承知なのです。

でも他のやり方ができないのだから仕方ありません。

できるならとっくにしてる。

できないんだもん。

欠陥人間なんだよ。

 

そう、仕事や研究だけじゃありません。

趣味だってそう。

短歌を始めれば、毎日毎日狂ったように作りまくり、雑誌に投稿し、目に留めてくださった歌人に会いに行き、また作りまくり、新人賞(佳作)を受賞するまでいかなくては気が済まない。

 

ヨガを始めれば、毎日ヨガスタジオに通い、物足らなくなってなんか本格的なインドヨガの教室に通い、毎日通い、頭頂部だけで逆立ができるようなるまでのめり込む。

 

ランニングを始めれば、出勤前に走り、退勤後に走り、走る距離がどんどん長くなり、生理が止まる。

ほどほどができない。

自分を客観視できない。

 

そんな人間が育児をするということは、つまり地獄です。

自分も周りも。

育児ほど完璧が不可能なとこないもの。

そして、最悪なことに私は自分が完璧を求めている自覚がなかったのです。

かわいい赤ちゃんのためにできる限りのことをしたい。

ミスはできない。

それだけです。

ただADHDの特性によって、0か100しかできない。

選択肢は一つ。

100するしかない。

 

そして私は愚かにも夫にも完璧を求めました。自覚なく。

夫は私みたいに劣った人間ではないのだから、出来て当たり前でしょうと思ったのです。

夫は賢い、夫はなんでも器用にこなす、夫は仕事ができる、夫は記憶力も素晴らしい、夫に育児ができないわけない。

そう思って疑いませんでした。

私より優れた人が、私ができることをできないはずない。

できない?

どうして?

バカにしているの?

できるのにしないなんて。

息子の命が未来がかかっているのに?

しないの?

できるのに?

ねぇ、なめてるの?

私たちのことが大事じゃないの。

そう。

あなたは味方ではないのね。

あなたは敵だったのね。

こんなに必死でやっているのに。

あなたは何も失ってないのに、できることもしてくれないの。

憎らしい。

私はあなたが憎い。

私はあなたが嫌い。

 

夫はマニュアルがあることはよくできます。

でも育児のような臨機応変に対応することはとても苦手です。

できるのにやらないのではなくて、夫は夫なりにできることをしてくれていました。

そうわかったのは随分先のことです。

そう、ずっと先のこと。

私たちが壊れてしまった後のことでした。