発達障害のことと家族のこと

39歳。ADHD診断済み。4歳の息子と猫2匹と暮らす。同い年の夫と別居中。

信じられない

 

弟が亡くなりました。

 

自殺。

 

信じられない。

 

優しい男の子

私の弟

 

なんで?

信じられない

信じられない信じられない

 

体に力が入らない

言葉が出てこない

 

こんなこと

 

ふわふわの髪の毛の赤ちゃんだったのに

ハムスターを大事にして

お姉ちゃんて笑って

 

なんで?

 

昼寝の間に

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息子が珍しく昼間に寝た。

 

部屋の隅にうずたかく積まれた畳まれていない洗濯物さえ美しく見えるうららから春の日差し。

オーブンからはパンプティングが焼ける甘い香り。

昼寝する息子の頬は発光しそうに白く眩い。

かわいい息子を眺めていると昨日は遅くまで仕事をしていたので、どろりとした眠気に引きずり込まれそうになる。

窓の外は光。

 

息子がプラネタリウムで落としたカメラが見つかり、それが届く予定なので眠ることはできない。

息子は写真を撮るのが好きで、私の使っていた古いデジカメをプレゼントしたら喜んで、どこに行くにも持っていって写真をたくさん撮る。

息子のとる写真には、はっきりと空気が写っている。

春の公園のけぶる空気、休日のリビングの騒がしい空気、雨の日の寝室の静かな空気、様々な空気を真空パックにしたみたいな彼が撮る写真はとてもいい。

 

息子は絵があまり上手ではない。

目の前にある対象物を紙の上に再現するというレベルには達しておらず、それどころかお手本がないと具象物を描くのも難しいらしい。

4歳の子どもの絵を描くレベルとしては遅い方だと思う。

彼の描くのは、いつもまる、そして線。それらがうずまくうずまくのびるのびる、しぼむ。

筆圧は弱く、線はゆるゆると頼りない。

何を描いているわけでもなく、描くという行為を楽しむための絵。

手を動かすと、そこに線が表れて、動きの痕跡を残すという行為を楽しんでいる。

私はそんな息子の絵が好きで、額縁に入れていくつも飾っている。

見ていると落ち着くし、部屋が明るくなるから。

 

息子の絵は春みたいだなと思う。

生まれたての絵だから。

植物の息吹きみたいな絵。

 

ああ、息子が起きた。

もぞもぞと寝たり起きたりする彼の頭を撫でながら「あなたは春がよく似合うね」と言うと、「かっこいいからね」と得意げに答えた。

そう、かっこいいいよ。

春に芽吹く命そのものみたいだもの。

光みたい。

 

昼寝の間にあなたのことを考えるのね、幸せって思うよ。

 

 

正しいなんて知らない

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久しぶりに夫のこと。

夫はとても弱い。それに弱さを誤魔化すためにずるい。

他人を駒のように思っている節がある。

私のことをとても本当じゃないくらい傷付けた過去がある。

お互い様だけど。

私のことをとても信じられないくらい大事にしてくれた過去もある。

新しいおもちゃを与えられた子どもが張り切ってするおままごとのようだったけれど。

 

夫の精神年齢が幼児なのだと精神科医は言った。

精神年齢は幼児で、能力は大学生で止まっていると夫は言う。

ふーん。

頭はすごくいいのにね。

少なくとも私からみたら神さまみたいに賢いのにね。

精神年齢はね、まあ、そうだろうね。

だから育児を2人でしようとして紆余曲折後に壊滅したんだから。

でもそれって悪いこと?

別に良くないか?

幼さを自覚して、コンプレックスに身を縮めて生きてる夫の姿は痛々しい。

 

夫は、僕は社会に適応できないと言う。

どこで働いても人間関係がうまくやれない。他人に共感することができない。

居場所がないと。

毎日どんな思いで働いているのだろうと思うと胸が詰まる。

 

私は夫にもう好きにしてほしいと思ってしまう。

私のことも息子のことも考えなくていいから、婚姻費用も払わなくていいし、お金の心配なんてしなくていいよ。

私が養うよと思ってしまう。

すごい馬鹿だな私。

でもそう思う。

 

 

そんな夫は正しくない。父親としても最低。

ダメ人間。

幼稚。

自己中。

サイコパス

 

もうそれでいいじゃん。

正しいなんて知らない。

正しい人間しか生きてたらダメなの?

そんなに正しいことは大事?

何よりも?

そんな筈ない。

正解じゃない人生もまた愛おしい。

それにさ、いろんな時期があるよ。

ずっと正しくてずっと幸せな人なんてあんまりいないと思うよ。

 

 

夫は双極性障害の症状がとても酷い時、じっとしていられなくなり、仕事を休んで毎日いろんなところに行っていた。

ライブとかサッカー観戦とか夜中の本屋とか実家の周りとか。

ある日、息子をベビーシッターに預けて一緒に鎌倉に行かない?と誘われた。

「鎌倉に行ったことあるの?」と私が尋ねると「行ったことない」と言う。

「そうなんだ。江ノ電に乗るんだよね」などと話していた。

後日、夫は私を鎌倉に誘った日に一人で鎌倉へ行って江ノ電に乗っていたと判明した。

行ったことないって言ってたのに。

だから行きたいって言ってたのに。

なんでそんな嘘つくの?

私を馬鹿にしてるの?

いったいなんなのおまえ。

くだらない嘘をついてはずかしくないの?

息子の父親なのに。

もっとしっかりしてよ。

親として見本となる人間でいてよ。

意味のわからない嘘をつかれたことに私は酷く腹を立てて鎌倉行きは中止になりました。

私は2歳の息子の育児にてんてこ舞いで、その時期の私にとっての夫は「息子の父親」でしかありませんでした。

正しい父親であってほしいという強いプレッシャーを意識的に夫にかけていました。

夫は息子のために誰より正しい父親であるべきだとなんの疑いもなく思っていました。

正しい人間、正しい父親にしか価値がないと双極性障害の夫に言うのは、とても残酷なことです。

その時、夫は双極性障害と未診断でしたが、私は彼の行動から予測がついていたのに。

夫の病状が悪くなったのは私のせいだと今でも思います。

私は夫を治そうと思ったんじゃない、夫を救おうと思ったんじゃない、夫を正そうと思っていたのでした。

正すことが、息子のためだと。

私は母親として家族のことを考えているのだ。

夫は正しい人間になるために病気を治すべきなのだと。

なんて傲慢で狂気じみた正義を振りかざしていたのでしょう。

 

今となっては、自分でコントロールできない衝動により鎌倉くんだりまでひとりで出かけて、ひとりで江ノ電に乗り、疲れた顔で夕方帰ってきて、どこに行ったかも言わずに「今度、息子を預けて一緒に鎌倉に行こう」と誘ってくれるなんて、なんて素敵なことだろう思います。

ひとりで行って観たものを私にも見せたくなったなんて、それはとてもうれしいことだから。

 

正しい人間は嘘をつかない。

あなたは嘘つき。

だから私は怒るの、何か間違ってる?

正しいのは私でしょ?

正しいのは私。

 

そう思ってたけど、今はもう正しいなんて知らない。

正しいなんて糞食らえ。

夫は息子をとてもとても大事に思っている。

いじましい努力でいつも出来る限りのことをしてくれる。

結果は出なくても。

それが今はわかるから、正しいなんてもう知らない。

いつか2人で鎌倉に行きたい。

 

 

 

 

 

 

もう一つの虐待②

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母は姉弟みな平等という思想の持ち主で、自分が弟を溺愛している自覚は全くあしませんでした。

「さくちゃん(仮)はまだ小さいから」

「さくちゃんは男の子だから」

「さくちゃんは身体が弱いから」

という彼女なりの理由で弟に付きっ切りで世話を焼いていました。

全くの不平等も彼女の歪んだ認知により、紛うことなき平等に思えるようでした。

 

例えば、食事。

弟は私の8つ下です。

私が小学2年生の時に生まれました。私が小学4年生の時、弟は2歳。

当然、食べる量、必要なカロリーは違います。

しかし母は「兄弟は皆平等であるべき」という考えのもと、私に2歳の弟と同じ量の食事しか与えてくれませんでした。

だからいつもお腹が減っていたことを覚えているいます。

祖父母が母に意見してくれましたが、母は自分は正ことをしていると信じ込んでいますから、祖父母にキレ散らかし、「お前のせいで私が悪者にされた」と叫びながら、食器を割り、鍋の中の料理を床にぶちまけ、庭先に出て近所中に聞こえる大声で「助けてー!!!殺されるー!!!」と叫ぶので、どうにもしようがありません。

(近所の人は母がしょっちゅうこのようなことを繰り返しているので慣れていました)

なので、ひもじかったですが、夜中にこっそり祖母におにぎりを作ってもらったり、祖父の作ったお酒の肴を分けてもらって凌いでいました。(母は基本的に男性にはあまり逆らわないので祖父にはあまり反抗しない。嫌そうにはしていましたが)

それでも私は小中とずっとガリガリで、大抵クラスで一番痩せていました。

今でも「痩せている女の子が好き」という男性がいると食事を制限して支配したい欲望があるのではと思ってしまいます。

それに平等平等と母は言っていましたが、私は誕生日会を開いても、弟が主役として母と共に登場してケーキの蝋燭をふーっとしてしまうので、自分のバースデーケーキの蝋燭の火を吹き消したこともないですし、買ってもらったおもちゃや文房具、学校で必要なものまで、弟が欲しがれば差し出さないといけませんでしたから子ども時代に何かしら自分のものを持った記憶がありません。

家にあるものは全て弟のものなのです。

全てを嫌がらずに差し出すのが、お姉ちゃんとして当たり前なのです。

 

そんな風に育てられた弟は、中学生になってもくしゅんとくしゃみをすれば、母親が鼻をかみ、高校生になってもコンタクトレンズを毎朝母親が目に入れる、それが当たり前だとおもっている奇妙な男の子でした。

 

そんな弟がある日、寝たきりになりました。

酷いめまいで立ち上がることができず、横になっていてもぐるぐると目が回るらしく寝ることすらままならない状態です。

もちろん、病院に行きましたが、原因不明。

弟の部屋のある2階へ上がることもできずに、一階の和室に布団を敷いて1週間寝たきり生活を送っても症状が改善しないので、大きな病院を受診することになりました。

しかし、そこいろいろな検査をしても病名ははっきりせず。

入院することになりました。

これが弟の人生のターニングポイントとなったのです。

 

③に続きます。

 

 

もう一つの虐待①

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先日、8つ下の弟から結婚すると連絡がありました。

おめでとう。

それはとてもおめでたいね。

そう言いました。

弟は、ありがとうと言いました。

 

でも、正直、おめでとうという気持ち以上にほっとした気持ちが強かったです。

ああ、もう私がさくちゃん(仮)の面倒をみなくていいんだと思いました。

弟は31歳なのに。

思い立って日本を出て何年もオーストラリアの農場で働いたり、海上自衛隊として海の上にずっといたり、大震災の時なんかも何にものご老人を背負い水の中を歩いたり、射撃が趣味だったり、筋肉隆々だし、動物が捌けたりするし、調理師の免許だって持ってるし、燻製がつくれたりするのに。

私なんかよりよほど何でもできるのに。

あの子は私に何かしてほしいなんただの一度も言ったことがないのに。

 

いつもいつも「弟の面倒をみなさい!お姉ちゃんでしょ!」と繰り返していたのは母。

 

母は弟を溺愛していました。

 

毎日毎日毎日毎日…猫なで声で朝から晩まで「さくちゃん」「さくちゃん」「さくちゃん」「さくちゃん」と呼んでいたので、その声は今でも耳にこびりついています。

 

弟は、自己主張のない、無口でのんびりした子どもでした。

気持ちの優しい良い子でしたが、落ち着きがなく、あまり頭が良くありませんでした。

母はそんな弟が可愛くて仕方がないようで、それはそれは弟を可愛がっておりました。

 

私と妹には少しの口答えも許さないで、母の問いかけ(主語がなく、代名詞が多いため要領を得ない)に少しでも返事が遅れようものなら、顔を真っ赤にして手を振りかざし殴るそぶりをする、または殴る、何かを投げつけ奇声をあげる等を日常的に行い、その他もとにかく不機嫌を撒き散らし、その態度に眉をひそめると烈火のごとく怒り狂いドスンドスンと床をふみ鳴らし、ドアをバタンバタン締め、ニヤリと笑い私や妹の手や足を(おそらくわざと)ドアに挟んでは大げさに「間抜け」「とろいから」と騒ぎ、剥がれて血の滲む爪や紫色に腫れ上がる指をぐいっと掴んでしげしげと眺めてから「こんな怪我大したことない!大袈裟に泣いたりしてお母さんを悪者にして!おまえは性格が悪い!頭がおかしい!」と言って、またドスンドスンとどこかに行き、大抵1時間後くらいにさめざめと泣きながら現れ「こんなお母さん嫌い?」と濃い化粧のハゲた醜い顔で、自分に酔っている人特有のセリフじみた言い方で、私に問いかけ「嫌いじゃない(好きとか嫌いとかいう感情はない。疎ましい、面倒くさい)」と私が渋々答えるまで泣き続ける、そんな母でしたが、弟には手をあげたこともなく、乱暴な言葉も彼の前では決して使いませんでした。

 

弟に対して母は過干渉で、身の回りの世話なんかも、例えば、弟が食事をする際は、彼の前の席に座って自分は食事せずに、彼の動作を見守り、「お醤油取ろうか?」「サラダのドレッシングはどれにする?」「硬くない?小さく切ろうか?」「お茶、冷めてない?入れなおそうか?」「おかわりする?」と終始話しかけていました。子どもの時だけでなく弟が成人してからも、30歳をオーバーした今もこの調子です。

弟が風呂に入れば、もちろんタオルと下着、パジャマを用意して、上がってきたら髪を乾かしてあげる。

もちろん、弟の部屋は常に母によって掃除され、寝具も整えてられていました。

母は掃除が苦手で、私や妹の部屋を母が掃除したことかど一度もないのですが。

 

弟が欲しがるものはなんでも買い与え、妹が「ずるい!」と言えば「男の子なんだからあんたとは違うの!そんなこともわからないのか!」と言っていました。

 

弟はほとんど躾されることもなかったので、外に遊びに出れば交通ルールを守れずに事故に遭い、走って川に落ち、車の後部座席に落ち着いて座ることさえできずにブレーキの度に転び、何でも自分の物だと思い込んでいるのでお友達にいじめられ、ものを取られと酷い有様でした。

 

そして、その善悪のつかない木偶の坊みたいな弟の面倒は姉であるあなたが見るべきだ!兄弟なのだから当然!と母が主張したのです。

「お友達がいないならあなたが遊んであげなさい。お姉さんなんだから」「あなたがお友達と仲良くできるようにしてあげなさい。お姉さんのんだから」「あなたが事故に遭わないようにみてないとダメでしょ。お姉さんなんだから」。

 

できないの?冷たいのね。信じられない。兄弟なのに。普通じゃない。怖い子。目つきが悪い。性格が悪い。おまえはキチガイか!!!!

 

もうキチガイでいいよ。お母さん。

 

②に続きます。

 

父の呪い⑤完結

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④の続きです。

 

 大学で仲の良い友達ができた。

 一緒に授業を受けて、学校帰りに自転車でいろんなところに行くし、お互いの家に泊りに行って夜通ししゃべる。

 彼氏もいる。

 年下の金髪の男の子。かっこよくてかわいい。

 バイトも楽しい。

 売上がいいとバックヤードにある成績グラフにピングーのシールを貼ってもらえるし、時給も上がった。

 それに何より、おばあちゃんの鬱が叔父家族と住むようになって劇的に良くなった。

 

 実家を出て、正解。

 全て上手くいっている。

 私の判断は正しかった。

 私は、お父さんにもお母さんにも支配されない。

 そのはず。

 そのはずなのに、私はひどく消耗していて、希死念と自暴自棄な気持ちでぐじゅぐじゅだった。

 夜布団の中で意味もなく毎日涙がこぼれた。

 どうしようもなくさみしい、と思った。

 

古代から人間、さみしい時と暇なときはろくなことをしない。

 

そんな時に、最初の夫と出会った。

その時、彼は40代の助教授(20年前はまだ助教授という呼び名だった)だった。

整った顔立ちといかにもフランス育ちのプレイボーイといった立ち振る舞い、それに離婚歴が2回あることで学内では割と有名だった。

研究成果でなくそんな色物として有名な先生というだけで、この先思いやられるわけなのだけれど、まあ予測通り、ろくなことにはならなかった。

だいたい20も年下の学生と付き合う教員なんてろくでもない。

1000%ろくでもない。

どんなに真実の愛だろうとも(そう思い込んでようとも)。

 

しかし自暴自棄で破滅願望の具現化であった当時の私は、彼の誘いにのった。

面白そうという理由でふらふら誘われるままに、展覧会やオペラに行き、それが昼から夜になり、夕飯を伴うようになり、手を繋ぐようになり、手紙が届くようになり、ちょっとした贈り物をもらうようになった。

面白いなと思った。

彼にも私にも恋人はいたし、付き合っているつもりはなかったけれど、滅茶苦茶な私以上に滅茶苦茶な彼と一緒にいると気が晴れた。

それが仕事で第一人者なのだから当たり前なのだけれど、彼の思想や学術研究についての見解はとてもとても興味深く面白くて聴いていると時間を忘れた。

それにどんな疑問について尋ねても答えてくれるので、爽快感があったし、まるで自分が賢くなった気分になれた。

 

彼には知性があった。

それは実家の父母にはないものだった。

 

私にはあなたたちにないものがある。

私はあなたたちとは違う。

田舎の無教養なあなたたちから私は遠ざかったの。

私は違う。

私は違う。

もっと遠くにいかなくては。

先生、私をもっと遠くに連れて行ってください。

それって、どうゆうこと?

寝て。

 

本当に愚かな幼い女の、傷を負った女のやりそうなこと。

お恥ずかしいかぎりでございます。

 

そして私たちは付き合うようになって、長い間一緒に暮らし、結婚して、離婚した。

 

先生と付き合っても、結婚しても、他人の知性なんかで父母から遠くになんていけなかった。

当たり前だけど。

もちろん父の呪いは解けなかった。

私はずっと自分が嫌いで、無価値で、生きていることは自傷だった。

もう先生と一緒にいても、滅茶苦茶しても面白くなかった。

狂気を保つにもエネルギーがいる。

うんざりだと思った。

不幸に倦んでいた。

居場所がなかった。

他人の知性も他人のお金も私に居場所をくれなかった。

 

やっと自分の居場所は、自分の知性と自分のお金でしか得られないと気が付いたのは、20代後半になって仕事をし始めてからのことだった。

気が付くまでの20代前半は、言うなれば、おっさんのおもちゃ。

メンヘラビッチとスケベなおっさんの気色悪いペア。

ああ、嫌だ。

 

得るものも多かったけど、私たちは対等な関係ではなかったし、私が最初の夫と結婚したのは愛ではない。

彼の顔も、体も、声も、仕草も、書く文章も(愛の籠った手紙も論文も)、撮る写真も、好きだけれど、愛はなかった。

私はずっと自分だけがかわいかったし、自分のことしか考えてなかったし。

 

離婚して、好きな仕事をして、自信をつけたら、徐々に呪いは解けていった。もう死にたいとは思わなくなった。自分の不幸を面白いと思わなくなった。

他人のことが思いやれるようになった、というか、このあたりでやっと、他人にも人格があり、それぞれの感情があるのだとわかるようになった。他人が人間としてみえるようになった。

自分のことばかりだった過去を恥じた。

少し人生に光が差した。

祖父が死んで10年経って、やっと地に足が付いた気がした。

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

父の呪い④

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③の続きです。

 

 さて、実家を出て一人暮らしを送っていた私にその後の人生に大きな影響を与える出会いがありました。

 最初の夫との出会いです。

 20歳の冬の出来事です。

 今から20年ちかく前の出来事なので、もうずいぶん昔のことなのですが、その日のことは今も鮮明に覚えています。

 最初に言っておくと、一見ロマンチックな恋物語のようなエピソードですが、最初の夫との出会いも、交際も、結婚も決してロマンチックなものではありませんでした。

これはロマンチックな出会いであり、私は特別なのだと思い込むことで現実から、自分から逃げていたのだと思います。

 そしてあれは自傷の一種だったのだと今ならわかります。

 最初の夫との諸々だけでなく、私の子どもを産むまでの人生は、自傷のための人生だったと。

 コメント(全部読んでいます。お返事できなくてごめんなさい。上手く書けなくて伸ばし伸ばしにしてしまっていて。)をくださった方が「不幸が内容が面白い」と感想をくださって、ああ、なるほどと思いました。

 確かに私は自分の不幸が面白いかったし、楽しかったのです。

 わくわく、ぞくぞくしていました。

 もっと、もっと、もっととさえ思っていました。

この楽しんでいるというのは、自己肯定感の強さ、解決できる自信から、余裕の笑みで自分に起きた出来事を楽しんでいたのではありません。

例えるなら、手首を切ってそこから溢れる血を眺めている心持です。

血、きれいだなって。

もっと、もっと、もっと、流れて、もっともっともっともっと痛いことをしたい。

焦燥感に駆られるように不幸を、痛みを、望んでいました。自覚なく。

 

これは私の20年前のお話なので、その当時はまだ毒親という言葉はありませんでした。虐待という言葉さえ、まだ一般的ではなかったように記憶しています。

教育の名のもとに、教師の体罰は当たり前。

しつけの名のもとに、親からの体罰はもっと当たり前。

そんな時代でした。

なので、日常的に肉体的、精神的な暴力を受けて育った私ですが、親から虐待された自覚は全くなかったのです。

そもそも子どもの小さな世界で、ほとんど自分の両親以外との大人の私的生活を見る機会なんてありません。

だから他の親がどんな風に子どもに接しているのかなんてわかりません。生まれた時から傍にいるのが、自分を苦しめる親ならそれが基準、それが私、私たちの普通なのです。かなしいことに。絶望的なことに。

 

子どもは無力。

 

無力な子どもはさて、どうするのでしょうか。

どんな手段で狂った親の毒を制するのでしょうか。

そこに希望はあるのでしょうか。

浴びせられた醜い毒によって私は、私だけでなく恐らく多くの被虐待児は、自分は「大事にされるべき存在じゃない」と「相手に都合がよい姿、性格でないと認めてもらえない」「何かを差し出さないと愛されない」と思い込んでいます。

親の元から逃げ出せたとしても、この思い込みは容易には変えられません。

毒親によって植え付けられた、変えなければ必ず自分を不幸にするこの価値観。

なんて強烈な呪いなんでしょう。

毒に侵されている。

もし毒に侵されなければ私の人生はどんなものだったのだろう。

もしもなんてないのに。

クソ甘えたこの考え。自分が嫌になる。

 

そう、もしもなんてありませんから、私の人生は不幸になっていきます。

そしてそれをとても楽しみます。

叫びだしそうになりながら、笑いだしそうになりながら、腹の奥が感情の衝動にくつくつと揺れるが、泣きたいのか笑いたいのかもわからない。

普通に生活しながら、何をしていてもずっと叫びだしそうだった。

笑い出しそうだった。

滅茶苦茶になりたいと思っていた。

もっともっと全部めちゃくちゃになれば楽しいのに。

ああ、ここで死んでやろうか

 

ここでやっと最初の夫の登場です。

前置きが長い。

 

⑤につづきます。

⑤で終わり。

 

あ、今は普通に元気に過不足なく生きてますので、大丈夫です。

幸せでも不幸でもなく、穏やかに。