全然大丈夫じゃないけど美しい日々

何度絶望しても世界は美しいから私は生きる。

「わかっていて産んだんでしょ?」

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育児が辛いというと、「わかっていて産んだんでしょ」と言われたりします。

わかっていて産んだし、後悔してないし、しかし、心身は限界状態で辛い、というのが産後です。

だいたい、誰にも助けてくられ、手伝ってほしいと言っているわけではないし、辛いと言いながら自分で乗り越えるのに、誰に迷惑かけるわけでもないのに「辛い」と言うことさえ許されないのか。

ここは地獄か。

お前は独善の鬼か。

と思ってしまいます。

 

私の場合、産後、夫婦2人だけで赤ちゃんのお世話をしようと奮闘していたけれど、私の精神状態は日に日に悪くなり、夫との関係も険悪になりました。

夫はできることはなんでもすると毎晩息子と寝てくれたし、家事も、育児もできるかぎりしてくれました。

はい、いい夫です。

私は贅沢でわがままな妻だと実家から散々言われました。

本来は私だけで育児すべきで、夫を育児に「巻き込む」ことは、「迷惑」なのだと。

2人の子どもなのに?

と思ってもいえませんでした。

母親としてダメな気がして。

 

睡眠不足でぐわんぐわんの頭の中には、育児は私の仕事なのだから本来なら全部自分がすべきたど思う気持ちと、2人の子どもなのだから夫と一緒に子どもを育てたいという気持ちが拮抗していました。

そして夫が在宅勤務を開始してくれた産後半年の頃には、私の心身はすでにめちゃくちゃで、眠れない、食べられない、動悸、ひどい焦燥感、身体はカチカチ、目はギラギラ、夜はウトウトしては何度もびくりと目を覚ますことを繰り返し、何度も起きては自分が不甲斐なくて息子を育てる責任の重さに泣きはらすという毎日に成り果てていました。

 

体調もなんだか日に日に悪くなり、ひどい動悸で息ができなくなってトイレで意識を失ったり、お風呂でも意識を失ったりしていました。

 

そんな心身の限界生活の中で、いつのまにかすっかり夫を敵と認識していました。

自分の弱味を夫に見せるものかと、夫の前では、できる限り私は大丈夫ですという風に演じていました。

あなたはさぞかしご立派なお仕事をしているのでしょうけれど、私だってしっかり育児をしてますからね!と。

自己管理だってしっかりしています。

私はちゃんとした母親です。

赤ちゃんはとてもかわいいです。

 

そうです。

どれだけ、心身がめちゃくちゃな状態でも赤ちゃんは、息子は、毎日眼を見張るほどの可愛さでした。

見るたびに驚くほど可愛くて、愛おしくて、胸が熱くなりました。

 

光みたい、とよく思いました。

いるだけで周りを照らす、明るくて、輝かしい光。

私のところに来てくれた光。

とても現実じゃないみたい。

なんてかわいいんだろう。

命って光だったの。

大事大事大事大事。

 

そんな大事なこの子の、この素晴らしい子の未来を自分が担っていると思うと、武者震いするように気持ちが猛り、育児書を読み漁り、育児、発達心理系の文献を収集し、データを集め、息子を観察して、データに即した最善の対応を試み、おもちゃを手作りし、童謡を歌い、手遊びをし、(もちろん厳選した)絵本を読み聞かせました。

各月齢によって一番よいとされる遊びを、朝と昼には外遊びを、必ず毎日同じ時間に朝寝と昼寝を。

ベビーカーもベビーバスもバウンサーも哺乳瓶もオムツもベッドもベビー服もテレビ番組も空調も住環境も出かける場所も全部全部全部、この子にとって一番良いものをと選びました。

 

そうやって1人でやってきたところに夫がさあ、在宅勤務にしたよ。これからは僕が育児も家事もやるよ。君はゆっくり身体を休めておくれと言われてもね。

 

土日も研修だなんだといなかったのに?

ほとんど毎日夜中に帰宅していたのに?

産後2週間の時にドイツ出張に行く気でいたよね?誰の助けもないのを知った上でね。

料理なんてできないでしょ?料理ができないのに家事?

私がつわりの時も産後すぐの時も作れなくて、ピザとかコンビニだったじゃない。

育児だって、あんた土日とかさ、息子と散歩に出かける前に1時間半は身支度してるよね?シャワー浴びて髪をセットしてさ。1時間半も子ども待てないから。朝の散歩の時間終わるから。

あんたが馬鹿みたいにドライヤーガーガーやってる間に行って帰ってくるわ。

私なんかもうずっと髪も梳かしてないし、顔を洗えない日も多いし、お風呂だってゆっくり入りたいし。

 

入ればいいじゃん?

はあ?

あんた毎日何時に帰って来てたか忘れたの?

赤ちゃんのお風呂はずっと私が入れてますけど?

はあ?

これから?

はい、これからは入らせていただきますね。ありがとうございます。

在宅勤務ありがとうございます。

私が不甲斐ないばかりに申し訳ことです。

ねぇ、なんでも相談してねって言われたんでしょう?秘書に。

秘書に相談しなよ。

妻の頭がおかしいから別れたいって。

 

挑発してる?

そう。

ごめんなさい。

 

毎日こんな感じの出口のない諍い。

 

答えを必要としない、はてしない愚痴と不満。

ねぇ、私は、私は2人で育児がしたかった。私は社会から断絶されたくなかった。私は赤ちゃんがとてもかわいい。とてもとてもかわいい。それなのに私は子どもを産む女という性として生きることが今とても辛い。母親というものになったことが息苦しい。

赤ちゃんはこんなにかわいいのに。

なんでもしてあげたいのに。

 

こんなことを言ってもわからないでしょう。

そうだね、僕に言われても仕方ないね。

その通り。

何にも解決しない。

それでも口に出したかったの。

パートナーだと思っていた人にきいて欲しかったの。

(それで満足?僕が愚痴をきいて君は満足?)

満足…?

満足したかったわけではないの。私はあなたを見限りたいんだと思う。

 

困ってるのね。

ごめんなさい。

頭がおかしいの。

在宅勤務にしてくれてありがとう。

理解してほしいという気持ちはなくなったけど、育児をしてくれるのはとても助かる。

 

(じゃあ、君はどうしたいの?僕がどうしたら満足なの?)

 

交代してくれたら。

 

母親と父親を交代してくれたら。

社会的な女と男を交代してくれたら。

全く対等な立場で2人で育児がしたかったの。

 

(現実的な話をしよう)

 

そうだね、現実的ではないね。

 

(また、仕事をしたらいいよ)

 

そうだね、時短で、育児をしながら、たいした収入も得られずに、夫の収入に頼りながらね。

 

(産んで後悔してるの?僕に何がしてほしいの?)

 

後悔してない。

仕事を何年かセーブしなくちゃいけないこともわかって産んだ。

たぶん、ただ慣れないだけ。ずっと男の人と同じ土俵でやってきたから。そこで成果を出して来たから。女に慣れないだけ。母親にも。

何かしてほしいわけじゃない。

フェミニストになって問題を解決したいわけでもない。

折り合いの付けどころがわからないだけ。

結論の出ない話し合いで無駄な時間を過ごしたと思ってるでしょう。

結論がないことが苦手だものね。

話をきいてくれてありがとう。

 

こうやって嫌われていくんだなと思うと寂しいような愉快なような清々しい気持ちになりました。

大好きだったのに。

この人の全部が大好きだったのに。

 

そして夫は頭のいい人なので私が救い難く狂ったなら容赦なく捨てるだろう。

だから安心だと思いました。

早く見捨ててくれと思いました。

母親という役割の責任感にがんじがらめになっていた私は、せめて妻という役割からだけでも逃れたいと思ったのです。

 

あんなに辛く苦しかったことはない。

育児が辛いものだって、わかっていて産んだんでしょ?

うるせぇ。

手を差し伸べるわけでもなく他人の辛さに口出しするなよ。

母親は、不満を口に出さず耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えれは満足か?

立派か?

 

不満を改善することで世の中は発展してきたんだよ。

より良い生活を求めて洞穴から住居に移り、生肉に火を通すようになったんだよ。

そんなに耐えることが好きなら洞穴で生肉食ってろ。

 

画像は息子がいつか手のひらに乗せてくれたサクラ。

 

 

 

小さなスノードームの思い出

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引っ越して半年以上経つというのに、まだ開封していないダンボールがいくつかあって、今日はそれを片付けようと箱を開けてみました。

 

自宅が差押えになり、不動産屋と喧嘩して慌てて引っ越したものですから、ダンボールの中身は整理されておらず、いろんなもこがごちゃまぜに入っています。

 

ああ、こんなところにレインコートが!

あー、これ!スノードーム美術館で展示されていたスノードームを息子が不注意で落としてしまった時に驚いて泣く彼に職員の方が「今日は来てくれてありがとう。スノードームが好きなんだね。驚いてスノードームのことを嫌いにならないでほしいから、これをどうぞ」とくださった小さなユニコーンのスノードーム!

慌てて弁償しようとするも代金を受け取っていただけませんでした。

あの時、まだ3歳の息子をスノードーム美術館に連れて行ったことを後悔して、息子の不注意を叱り、謝る私に「こんな小さなかわいい男の子がスノードームを好きでいてくれて私はとても嬉しいですよ」とおっしゃった年配の男性。

その言葉にどれだけ救われたでしょう。

小さな子どもは失敗するし、自制できないし、どうしても周りに迷惑をかけてしまう存在です。

いくら親が目を光らせてもダメな時はダメ。

仕方がない時もあります。

未熟な子どもですから、こちらがいくら対策を立て、注意しても仕方のない時が多いです。

仕方がないのに、子どもの迷惑を許さない人はいて、親が管理制御しろよと思う人もいます。

だから私は家から一歩出ると、周り迷惑をかけてはいけないととても気を張っていました。

これまでも舌打ちされたり、因縁をつけられたり、ベビーカーで両手がふさがっている時に痴漢にあったりしたことがあったので、今も息子を連れて外出する時は、極力タクシーで移動し、電車やバスを利用する時には、ボイスレコーダー、先の鋭利なドライバー、父の事務所の顧問弁護士の名刺を持って出かけています。

これは息子を守るために、そしてこちらが子ども連れの弱者だからと失礼な態度をとるゴミを絶対に許さないために。

 

もちろん優しい人もいたけれど、独身の時より遥かに周りから舐められていると感じる機会は多く、子ども産んで3年経った母親の実感として世間の目は厳しく冷たいものでした。

赤ちゃんや幼児という絶対的弱者を連れて外出するのに過度な警戒をするほどには。

 

息子はとても良い子でなのに。

世界に歓迎されていないなんてかわいそう。

そう思っていました。

 

だから、スノードーム美術館の職員の方の言葉はとても嬉しかった。

大袈裟だけど、息子が世界に受け入れられたと思いました。

 

小さなユニコーンのスノードームを揺らすと白い雪が舞いました。

息子はもうすぐ5歳になります。

落ち着いたしっかり者に成長した彼はもうスノードームを不注意で落として泣くようなことはないでしょう。

子どもの成長はあっという間。本当に早い。

今となっては、彼の未熟を、彼の不注意を、彼のわがままを、彼のコントロールできない感情を、もっと楽しめたらよかったなと思います。

雪のように溶けて消えてしまう幼さをもっと受け入れてあげればよかったなと、スノードームを揺らしながら思いました。

 

 

 

 

 

 

 

胸を熱くする真夜中

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めちゃくちゃ久しぶりの更新です。

発達障害関連のことはもうだいたい書いたし、夫の双極性障害寛解したし、家庭生活もまずまず安定しているんで、もうこのブログも終わりにしようかなと思って、育児ブログの方の記事を書いてました。

今は安定していてもこの先また何があるかわかりませんが、とりあえず今は夫が発病したり自己破産した頃に喉から手が出るほど欲しかった安穏とした生活の中にいます。

夫とは今もまだ別居していますが、週末に会うくらいが気が楽で、2重にかかる家賃は大変ですが、至極快適です。

 

少し前、夫と夜中に話していて、まあ内容は、いつものように彼の「僕はダメ人間だ」という話だったのですが、そんな暗い話題の中で、ふと私が「好きなアーティストにTwitterでフォローされて嬉しい」と言いました。

すると、夫がそのバンドのライブに行ったことがあると、よかったら息子のことは僕がみているのであなたも行ってきては?と申し出てくれました。

あら、優しい。

ああ、そうだ、いろんなことがあったけれど、息子が生まれて以来、いつだって夫は自分の親としての役割を果たそうと、私の負担が減るようにと苦心してくれていたと胸が熱くなりました。

不貞のことはいまだに許していませんが、胸は熱くなれます。

胸を熱くしながら、夫は本当に顔もかっこいいし、賢いし、眼鏡もかけてるし、おしゃれだし、この前も道を尋ねてきた外交人観光客に流暢な英語で丁寧に説明していたし、完璧だわ、精神疾患で自己破産して別居していることなんて取るに足りないわ、と思っていると、

「僕はこの曲が好きです」と夫が好きな曲を教えてくれました。

偶然、私も一番好きな曲でした。

私たちそういうことがたまにあって面白い。

 

夫との電話を切った後、夫が好きだという曲を聴きました。

 

美しいメロディにのせて、せつなげな女性の声が歌います。

 

そこに居なくても見えるように

そこに居なくても温かいように

そこに居なくても

 

そこに居なくても見えるように

そこに居なくても温かいように

そこに居なくても

 

あぁあなたにはやっぱり関係ないか 

Written by いづみさとー

別居中の夫と真夜中に電話して好きだと言いあう歌にぴったりだと思った。

私たちは気が合うのじゃないかしらと思った。

過去の凄まじい罵り合いを思い出して少し笑った。

 

恋は魔物 - あなたには関係ない - YouTube

 

 

離婚のこと

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今日で前夫と離婚してからちょうど10年経ちました。

当時はこの世の終わりかという程に打ちひしがれ、痩せこけてしまったのですが、今となっては、離婚して本当に良かった。当時の私、完全に正解!ってな感じです。

 

やっぱり25歳年上の大学教授に愛される女である自分に酔っていたんでしょうね。

付き合ってる段階では。

なんか、谷崎潤一郎の『痴人の愛』みたいな関係を演じることを楽しんでいたというか。

実家の両親に抑圧されていたからなのか、ADHDだからなのか19歳の私の精神年齢は幼く、自我が確立していませんでした。

しかし自分では、私は自立した大人だと思っていた。思い込んでいました。

そんなハリボテの自我は、年上の男性、地位も名誉もある社会的成功者に愛される女の人格を纏うのにちょうど良かったのだと思います。

 

しかし結婚は生活。

酔っているハリボテの自我も目を覚まします。

どうして夕飯ができましたよって呼んでから来るまでに20分もかかるの?

時間がかかるなら「今行く」って言わないでほしいのだけど。

トイレの便座は使った後に戻して。

連絡なしに友達を家に連れてこないで。

テレビで私のことを話さないで。

私の身につけるものにいちいち意見をしないで。

毎日お風呂に入って。

毎日歯を磨いて。

私が外出する時はあれこれ細かく聞いて何度も電話をしてくるのに、あなたは連絡もなしに外泊するなんておかしくない?

夜の外出を禁止するのはなぜ?

結婚したら1人で旅行に行くのは非常識ってなぜ?

あなたが連れて来るお友達が私の容姿を、作った料理をジャッジするのはなぜ?

どうして私の携帯を見るの?

あなたがうっかり手を出した女からのしつこい電話にどうして私が対応しなくちゃいけないの?

女は怖い?なぜ?

私は違うと思ったのに?誰だ比べて?

先生、教えて?

なんでも教えてあげるって言ったでしょう?

 

これだけ言っても流石といいますか、前夫は、一度も鬱陶しそうにしたこともなく、喧嘩になったこともなく、反論もなく、ただただ穏やかに辛抱強く私の話を聞いて、改善策を提示し、反省している私を愛しているから変わるよと言って穏やかに微笑みました。

そして改善なんてされず、反省なんて勿論せずに、私の単独での外出を禁じ、電話やメールを全てチェックするようになり、最後は友人に私を尾行させて「婦人科に入って行った不貞だ」と友人と騒いでいました。

 

心配だから。

愛しているから。

何千回言われただろう。

 

あなたが心配なのも愛しているのも私じゃなくて自分でしょう。

 

散々いい思いしたクセに。

恩知らず。

ブスが調子にのって。

先生がかわいそう。

弁護士を使うなんて卑怯。

 

いつもそうなのですが、卑しい言葉を投げつけてくるのは、よく知らない人。

どうでもいい人達はいつも騒がしい。

虫みたい。

笑ってしまう。楽しそうで。

 

前夫は今でも私に「心配だ」「愛してる」と言う。

全部わかってるのに何もわからない顔をして。

どうでもいい人達は、今も変わらずどこかの誰かを非難している。

楽しそうに。

 

10年経った。

どの結婚も離婚もしてよかったな。負け惜しみじゃなくて、どうせ命の蝋燭燃やすならやりたいようにやるのがいいから。

 

写真の猫は、さっき私の腹を前足でモミモミしていた飼い猫です。

かわいい。

小学校が辛かった話

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朝、職場に着いて、自分のデスクでパソコンを立ち上げている間に紅茶を入れに行って戻り、目を通す資料をパラパラと見ながら椅子をくるくる回す。

同僚が、子宮筋腫を取るから来週から数日休むね〜貧血がひどくてさ〜病院行ったら大きなのがあってびっくりしちゃったあ〜と間延びした歌うような調子で話している。

窓の外からは救急車のサイレン。

埃っぽいオフィス。

上司のつけている香水の匂いが、エアコンの風に乗ってこちらにまで香ってくる。

それでね〜私の父が獣医でしょう、子宮なんてもう取っちゃえばいいんだよってね〜軽く言うもんだから頭にきちゃって、ひどいわよね〜もう役に立たないなら取れなんてね〜

あ、朝一会議だっけ?

「あ、はい」

 

会社は楽だなと思う。

学校は息苦しかったなと。大学は違うけど。

 

小学生の頃が一番息苦しかった。

とにかく、何をすればいいのか、どこに行けばいいのか、わからなかった。

子どもが余りにもたくさんいて、すごくうるさくて、汚くて、動き回っていて、ごちゃごちゃ固まったり、離れたりしていて、とてもこんなところにいられないと思った。

しかも子どもは私に話しかけてくる。

粗野、下品、未熟、意地悪、猿みたい。

誰かと仲良くしたいなんて思うわけない。

子どもなんて大嫌い。

自分も子どもなのに心からそう思っていた。

 

女の子達は、誰と誰が仲良しで、誰と誰が仲が悪くて、同じ筆箱を使ってるとか、誰だ休み時間に遊ぶとか、仲間はずれとか、泣いたとか、あの子ちょと嫌なところあるよねとか、私も前からそう思ってたとか、一緒にトイレに行くとか、そのペンかわいいとか、そんなの学校に持ってきちゃいけないんだとか、そんなことをなんだかいつも話していて、その全てに私は興味はなくて、話したいと思わなかった。

みんな馬鹿みたい。

そう思っていた。

教室の隅で。

 

男の子達は、とにかくうるさかった。うるさい汚い近づかないで。

どうして私の箸箱を取って逃げるの?返してと追いかけると男子トイレに逃げこんで、私が男子トイレに入ると「わ〜変態〜エッチだ〜」と騒ぐ。

最悪。

猿以下。

 

そして先生達。

いろんな先生がいたけれど、皆口を揃えて「お友達と仲良くしなさい」「大きな声でお話ししなさい」「皆んなと一緒に行動しなさい」「もっと元気よく」「もっと素直に」「もっと明るく」と言った。

確かに明るく元気で大きな声で喋る子は先生達に可愛がられていた。

でもそいつ、先生の見てないところでおとなしい子いじめてるよ。

先生は扱いやすい子どもが好き。

見たいところしか見えない目、面白くない冗談、子どもを管理することを支配することと履き違えている先生もいた。

優しく子どもをよく見ている先生もいたけれど、嫌な先生の方が多かったように思う。

 

女の子も男の子も先生もいつのまにか私のことを「変な子」「変わり者」「面倒な子」としてラベリングしていた。

授業中窓の外ばかり見ていても

歌のテストで歌わなくても

いつも体育を休んでも

忘れ物が多くても

いつもプリントをなくしても

ああ、あの子ねって感じ。

 

3年生の頃に気の合う友達ができて普通に喋るようになるまで、完全にやばい子どもだった。

学校は、自分は普通のことができないダメ人間なんだと骨身に染みこませるために行っているようなものだった。

30年も前だから当然、田舎の学校に発達障害の知識のある教師はおらず、テストはよくできたから「やる気がない」「怠けている」「先生をバカにしている」と散々言われた。

「やる気がないなら帰れ!」と言われて家にトボトボと帰ったこともある。「本当に帰ってどうする」と言われてひどく怒られたけど、意味がわからなかった。

先生は、やる気がある子どもが大好き。

 

そんか学校に馴染めない私がよく話したのは図工の先生だった。

生まれたばかりの弟の話を図工室にしに行ったのを今もよく覚えている。

「私がミルクを飲ませてあげたの」「名前はお父さんが考えたんだよ」「髪がふわふわなの」「くわ〜ってあくびをするのがすっごくかわいいんだよ」

初老の女の先生は、ニコニコ笑って聴いてくれた。

 

皆んなと同じこと、やる気、大人の思う子どもらしさ、そんなことが評価される意味のわからない場所。

 

当時もし療育を受けられていたなら。私はもっと楽に生きられたんじゃないかな。

もしかしたら弟は死ななかったんじゃないかな。

ありのままでいいと言ってくれる居場所を子ども時に見つけられたなら。

 

そんなことを考えているうちに長い会議が終わった。

ここはいいな。

私は大人になたから、自分の居たい場所でしたいことができる。

よかった。

 

 

 

穏やかな母親

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息子が生まれてからずっと心がけていることがありす。

彼の前で穏やかであること、笑顔でいること。

誤魔化さないこと、誠実でいること。

息子が安心できる親でいること。

 

私の母は非常に感情的な人で、気に入らないことがあれば、自分の不機嫌をとにかく撒き散らすために、ヒステリックに怒鳴る、物にあたる、大きな音を立てる、殴る、摑みかかるということが毎日のようにありました。

母にとっては自分の機嫌が何より大事で、周りはもっと自分の機嫌に敏感であるべきだと考えているようでした。

「ああ〜イライラする!」

「お母さんの顔みたらわからんか?」(わからないか?)

「もっとお母さんのことを考えて動きや!」(動きなさいよ!)

 

今から思えば、軽度の知的障害とADHDの傾向が強い母は自他の境界が曖昧だったのだと思います。

 

自分の思い通りに他人が動かないと気が済まない母。

母の思い通りに動かない私を「キチガイ」と罵る母。

これは今も昔も変わりません。

 

そういえば、弟が自殺して、さすがの両親も少しは弱るかしら?と思って帰省したのですが、全くそんなことはなく、母は葬儀屋、親類、近所の人、弟の友人、もちろん私にもキレ散らかし、あわや通報かというところまでいっていました。その燃え盛るようなパワーは私の幼少期から変わらず、最愛の息子の死、しかも自殺、すら彼女のゴーゴーとした不機嫌の炎を消すことができないのだと唖然としました。

父も、通夜と葬儀ではしんみりとしていたものの、四九日の法要の席では、仕事関係の方とくだらない話をし、下品な冗談で狂ったように笑っていました。

まるで弟の死なんてないかのように。

 

こんな両親の元で育ったので、私は人の顔色を伺うクセが随分大きくなるまで抜けませんでした。

 

子どもにとって親の不機嫌は恐怖以外の何者でもありません。

私のせいで親は不機嫌なんだ。

私はダメな子どもだ。

私が悪いんだ。

怖い。

早く終わって。

逃げたい。

居場所がない。

私が悪いんだ。

 

子どもの頃は、怒り狂う母に壁際に追い詰められ、髪を引っ張って顔を上げられ、顔に唾をかけながら、私がどれほどダメで頭がおかしく、母にとって忌むべき存在かを何時間も聞かされた。

時折「これからどうすればいいかわかる?」などと質問が挟まれ、答えを間違うと母は般若のような顔になり説教の時間が延びた。

 

母がキレる原因は、私が友達と遊び妹と遊ばなかった(妹はすぐに癇癪を起こすので遊びたくなかった)、祖母が作った夕飯をおいしいおいしいと2度も言った、せっかくブラウスを買ってきてやったのに成長してサイズが合わない…など本当になんでもないことでした。

 

そんな母を私は嫌いでした。

幼児の頃は恐怖でしたし、成長して分別がついてからはからはうんざりでした。

まただよ。

狂ってる。

そう思っているが顔に出てしまうと、母は私を「心がない」「冷たい人間」「頭がおかしい」と言いました。

 

母親のようにはなりたくない。

私は絶対に不機嫌で息子を支配したりしない。

そう思って、私は息子の前でいつも穏やかで、フラットな母親でいました。

夫が双極性障害閉鎖病棟への入退院を繰り返し借金で自宅が差し押さえられても、夫が出て行っても、お金がなくなっても、ストレスで体重が8キロ減り持病が悪化して入院を勧められてもお金がなくてできなくても、ヤクザみたいな不動産屋が靴のまま自宅に入ってきて怒鳴っても、私は息子の前では穏やかに微笑んでいました。

恐怖、悲しみ、痛み、困惑、そんか感情は微塵も顔に出さずに、いつものように「かわいい。大好きよ」と言い、息子への態度は変わらないようにと歯をくいしばって穏やかな声と笑顔をつくりました。

母のようにはなりたくなかったから。

 

しかし3月、弟の死の知らせがあった時、初めて息子の前で穏やかな母親ではいられなくなりました。

 

息子の存在が見えなくなりました。

 

電話で知らせを受けて、「うわー」と叫ぶ声がして、それが自分の泣き叫ぶ声だと気がつくのに時間がかかりました。

児童公園の砂場にヨロヨロと座り込み、砂にうずくまるようにして咽び泣きました。

息子がその時どこにいたかはわかりません。

ちょうどその時、公園に何かの撮影に来ていたカメラマンと何人かのスタッフが「何かありました?」と寄って来て声をかけてくださったのですが、ヒソヒソと笑う彼らに瞬時に憎しみが湧き「弟が死んだんです!放っておいてください!なんで話しかけてくるの?なんで?」と関係のない方に酷くイラついてひどいことを言いました。

普段から息子を連れていると知らない方に声をかけられることが多く、有難くもあるのですが、なんでこんな時にまで話しかけてくるの?いい加減にして!と思ってしまった。

息子の前で。

怒り狂う母を見せてしまった。

 

ああ、ダメだ、子ども、子どもの面倒をみないと…とフラフラと立ち上がって周りを見渡すと、息子は少し離れた遊具で小学生と遊んでおり、私が手を振ると笑顔で手を振り返してくれました。

 

そしてこちらに駆け寄り、一言「泣いてもいいんだよ」と言いました。

私が息子が泣くといつも言う言葉。

「弟が死んだの」

と言って息子の前で泣きました。

息子の前で初めて声を上げて感情のままに泣きました。

 

 

 

 

四九日

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昨日から実家に帰省しています。

弟の四九日の法要があるからです。

息子は、弟の遺影と骨壷がある一画を見て「○○(弟の名前)死んだの?」と弟の骨に尋ねていました。

 

幼い頃の弟の顔に少し似ている息子。私が生んだ子ども。もうどこにもいない弟。命、茫漠たるもの。

 

弟の使っていた部屋には、彼の服が無造作にかけられ、ヘッドホン、iPhoneの空箱、仕事のシフトをメモした紙、内覧した部屋の間取り図、カバン、サンボマスターのCDなんかがそのまま置いてあります。

まるで昨日までここに居たみたいに。

弟の服からはまだ彼の臭いがしました。

本人はもう骨なのに変なの。

もう骨になって無臭なのに変なの。

骨壷の中の骨よりハンガーにかけられた服の方が弟に近い気がしました。

 

弟が命を絶つのに使ったであろうベルトが置いてありました。

生きている時に使っているのを見たことがあるな。

ロープを用意してしなかったってことは衝動的だったのかな。

計画的でも衝動的でも結局どちらでも助けられたんじゃないかと思ってしまうな。

それにしてもちょうどいいベルトだな。

ねぇこれいいね。使いやすそう。私がする時も貸してくれない?

いいよ〜僕はもう終わったから〜お姉ちゃん使って〜ってたぶん言ってくれるな。ふふふ。それなのにもう居ないのか。

変なの。

全然全然全然全然全然全然全然全然全然全然全然全然全然全然全然全然信じられない。

 

弟は感情を出すのが苦手だった。

苦手というか、自分が感情的になってもどうせ誰もきいてくれないと思っている節があった。

機能不全家族の優しいお利口さん。

だから弟が本当は何を考えていたかなんてわからない。

私に対しても優しいお利口さんという役割を演じていたのだろうから。

 

似た年恰好の男の子を見かけると、悲しいと思う前に涙が面白いほどダラダラ流れる。

ごめんねと思う。

かわいそうにと思う。

どうして私は生きているのだろうと思う。

今生きてる人、いつか全員死ぬのに死がこれほどまでに悲しいのはなぜだろう。

当たり前のことなのに。

 

弟か死んだこと、もう二度と会えないこと、それより、死を選ばざるを得なかった程に追い詰められていたことがかわいそうでならない。

 

そんな1人でさ、怖かっただろうに、もうこれしかないって思ってさ、そんなのかわいそうだよ。

かわいそうって思ってしまうよ。

 

生きづらかったのだと思う。

おそらく私以上にADHDの特質は強かったし。

難しいことが苦手だった。

母に溺愛されていた。

争いごとが苦手でいつもへらへらと笑っていた。

いつも誰かに叱られていた。

ちゃんとできないことを誤魔化すことも下手だった。

ボランティアに熱心だった。

水泳が得意だった。

努力家だった。

友達思いだった。

 

社会に適応できる人がいれば、同じだけ社会に適応できない人もいるでしょう?

適応できるのが、うまくやれるのが偉いとか優れているわけではないでしょう?

そんなのその人の一面に過ぎないでしょう?

社会なんてクソだよ。

別に適応する価値なんてないよ。

ねぇ、そうでしょう?

 

お姉ちゃん、僕、難しいことはわからへんねん。

ごめんな。

 

そう言うかな。

 

じゃあ、わかりやすく言うよ。

 

あなたはそのままでいい。

誰がなんと言おうと、どんな困ったことがあろうとそのままでいいんだよ。

死ねほど追い詰められてもそれでも何も悪くないんだよ。

ただ、助けてって言えるようにすればいいんだよ。

 

 

だからいかないで。