発達障害のことと家族のこと

39歳。ADHD診断済み。4歳の息子と猫2匹と暮らす。同い年の夫と別居中。

父の呪い①

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インフルエンザの高熱で夢うつつだった先日、父の夢をみました。

おそらく父の夢を見るなんて初めてのことです。

私と父は仲が良くありません。

仲が良くないどころか、物心ついた頃にはもう父を疎ましいと思っていた記憶があります。

父は私に甘いのに。

なぜそんなに?

父は母のように私を虐待したり、意地悪をするわけではないのに。

 

夢の中で父は、祖父を殺していました。

そして、ああしまったな。面倒なことになったなとイラついていました。

そして庭に穴を掘りました。

祖父が大切にしている松の根元に。

穴に祖父の死体を入れました。

私に「お前もそこに入れ」といいました。

私は躊躇なく穴にストンと落ちました。

湿った土の匂いがして、祖父の身体はまだ温かくて、なぜか、もうこれで大丈夫、と思いました。

祖父の痩せた胸に頬を寄せました。

痩せた皮膚と骨の感触を目をつぶって味わいました。

夢の中なのに、せっかく夢の中なのに、祖父はもう20年も前に死んでしまったことに気が付いてしまったので、せめて感触を味わいたいと思ったのです。

私の脳にまだ残っている病んだ祖父の身体の感触、その体温を頬を擦り付けるようにして味わいました。

ああ、おじいちゃん

おじいちゃん

私だよ

会いたいよ

一人にしないで

 

涙が耳に入る感触で起きました。

真夜中です。

息子が隣で健やかな寝息を立てています。

身体が熱くて頭がすごく痛い。

熱で体が一回り膨らんだような不思議な感じ。

目を覚ました途端に、さっきまで精彩だった祖父の身体の感触がおぼろげになります。

夢だから仕方ないけれど、さみしくて目を閉じて夢の断片を集めてみます。

 

祖父は私が大学に入学したばかりの頃に癌でなくなりました。

もう手術では取り切れない、後は緩和病棟にいって痛みを抑えましょうという段階の祖父に、父がどうしても手術をしてほしいと医師を説得して、その手術の後すぐに祖父は亡くなりました。

祖父に癌の告知はしていませんでした。

決定権は父にありました。

父は医療従事者です。

父にはわかっていたはずです。

 

父は今まさに息を引き取ろうとする祖父が水を欲しがり、祖母が水を飲ませようと濡れたハンカチを口に持って行こうとするのを「よけいなことをするな」と止め、次の瞬間に祖父は意識を失い、しばらくして亡くなりました。

あの時の祖父の信じられないと絶望した顔は今もはっきり覚えています。

私はずっと祖父の手を握っていて、父はそれを「ドラマみたいなことすんな恥ずかしい」と言いましたが、祖父は話せなくなっても私の手をぎゅうぎゅうと力強く握ってくれていたので、私は手を握っていました。

祖父の魂が体から抜けるまでずっと。

 

父は祖父が亡くなった次の月に自宅を取り壊し、マンションを買い、建築家を呼び、半年後には新しい家が建ちました。

祖父の遺産でした。

平屋の日本家屋は悪趣味な南仏風の3階建て住宅になり、広い庭の半分は駐車場になり、苔むした裏庭も、金木犀の木も、立派な松の木も、毎年春を告げてくれていた良い香りのする梅の木も、蘇鉄もツツジも鶏頭も全てショベルカーが掘り返され、どこかに棄てられてしまいました。

狭くなった庭には、母の趣味で作られた薔薇のアーチ、レンガの花壇、置かれた7人の小人の人形がおりました。

ばかみたい。

勝手にすればいいけど、ばかみたい。

 

②に続きます。

 

 

 

 

 

 

やり過ごす

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先週はインフルエンザに感染してしまい激しい悪寒、高熱、関節痛の中で育児をしていました。

息子はヨロヨロの私に大層優しく、高熱でぼんやりと火照った心身にその優しさは清冽な水のようにするすると染み渡り私を優しさで満たしました。

 

「優しくしてくれてありがとう」

と言うと、

「しんどいね。大好きだよ。お母さんがいつも僕に優しくしてくれるから、優しくできるんだよ」

と答えました。

 

私は優しくなんかありませんでした。

母親として優しく接する必要があるから優しい態度を取るだけ。

責任と義務で優しくしてるだけ。

そんな母親になるのだろうと思っていました。

産むまでは、息子と出会うまでは。

 

息子を産んで、責任感や義務感からの優しさではなく、胸の内から溢れる愛情に戸惑いました。

私に優しさなんてあったのかと。

 

 

だって、私はいつもやり過ごしてきました。

私にとって人生はしたいことをしたり、楽しんだりするものではなく、とにかく、とにかく、やり過ごすものだったのです。

私はその時々をとりあえず、その時すべきことをしてやり過ごしてきました。

子どもの頃からずっと。

ずっとどうやってやり過ごそうかと考えてきました。

したいことは何もありませんでした。

それを見つける希望もエネルギーもなかったから。

ただ、その時々で1番楽そうな、自分にとって損にならないことを何となく見つけて、取るべき態度をとり、話すべき言葉を選んで口に出してやり過ごしてきました。

笑顔を作って。

 

そこに心はありません。

何も思ってません。

何もない。

心はない。

やり過ごすことだけを考えていたのです。

いつも。

 

何かから逃げるように。

見つからないように。

バレないように。

 

私は、劣っているから。

私は、人並みに何もできないから。

私は、みんなを不快にするから。

 

大人になって、好きな研究や好きな仕事をやるようになり、そこで評価されることで、随分と自己嫌悪はおさまりましたが、それでも心の根底には、いつも自分はダメだという思いがありました。

 

頭の中に自分を否定するもう1人の自分がいて、いくら仕事がうまくいっていても、いくら成果を出して評価されたとしても、「こんなものぐらいなんだ?お前はどうせお前なんだから、どうせ何もできないんだよ。こんなのまぐれだ。お前は何もできない。ずっとそうだっただろう。忘れるな。調子に乗って忘れるなよ。自分がまともじゃないことを。自分が何も普通にできないことを。存在が迷惑だということを」

と言うのです。

その声は、野太い男の声で、父の声にそっくり。

私は、ああ、そうだと我に返ります。

調子に乗ってはいけない。いろいろ出来るようになって、評価されて、働いて都会に一人で暮らす私は本当の私じゃない。

本当の私は何もできないんだから。

本当の私は、地方都市の公立小学校で教壇の真ん前に机を並べられ、教師に「今度あなたが忘れ物をしたら、班の連帯責任にします。あなたの班は毎日放課後残って反省文を書いてもらいます。自分の班の人に今から謝っておいた方がいいんじゃないの?どうせまた忘れ物わするんだから。ほら、今、前に来てみんなに謝りなさい!」と言われて途方に暮れている。今も。そこから動けないでいる。

 

調子に乗ってはいけない。

私は劣っているのだから。

みんなの迷惑なんだから。

なんとかやり過ごさないと。

私が普通じゃないとバレないようにしないと。

 

ずっとずっとそう思って生きてきました。

勉強も研究も仕事も結婚も離婚もやり過ごすために過ぎなかったようにも思えます。

 

夫との結婚は違いましたが。

やり過ごすには、彼の持つ劣等感があまりにも自分のものと似ていましたから。

だから劣等感を誤魔化すため、やり過ごすための結婚というより、火の中に飛び込むような結婚でした。

 

なんでそんな結婚をしたのか、今となってはよく覚えていません。

衝動としかいいようがないものでした。

 

そして火の中に飛び込んだ私に息子がやってきました。

やり過ごすことを許さない激動の育児。

ぶつかり合い自我と自我。

やり過ごすことなく、初めて他人と向かい合いました。

あんなに恐れていた他人と向かい合いこと。つまり自分と向き合うこと。

どんなに傷つくだろうと思って怯えていたのに、柔らかい気持ちになりました。

ぶつかり合っても壊れない。

ちゃんと相手を見て考えていれば、関係は壊れない。

そうなのか。

人と人の関係は、こんなに柔らなものなのか。

 

どんな人間関係もそうだと思うのですが、他人と経験を共有し、共感し合い、時には反発して、創り上げるモニュメント。

ひとつとして同じ形のものはありません。

そして私と息子との高くそびえるそれは、とてもとても壊れそうにありません。

 

今も隣で眠る息子を見ていると、その白い頰、健やかな寝息、彼の体温に、胸が熱くなります。

なんなんだろうこれ。

大事大事大事大事大事大事大事大事大好き大好き大好き大好き大好きって感じ。

 

 

晴天のお台場

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2019年です。

息子を2014年に出産してからの時の流れの早さは凄まじいです。

2019年とか嘘でしょ?って感じ。

 

年末年始のお休みは息子と夫と過ごしました。

夫とお休みを過ごすなんて昨年には考えられなかったことです。

 

夫と息子と過ごす休日はとても楽しいものでした。

夫は優しい。

その優しさは私が怖いからかもしれないけれど、優しい。

 

元旦に家族でお台場に行きました。

元旦のお台場は、晴天で、外国人観光客ばかりで、大きなガンダムがあって、息子はずっとはしゃいでいて、夫は優しく微笑んでいて、なんだか全部が風邪の時にみる夢みたいでした。

風景がどろりと溶けて歪み、目を開いたらそこには狂った夫がいるのではないかと怖くなるほどに。

 

夫が入院していた精神病院の閉鎖病棟にお見舞いに行った日のことを思い出しました。

2人で病院を抜け出してコンビニに行き、アイスクリームを買って病院の敷地内で食べました。

いかにも精神病患者という感じにぼんやりくったりした夫はアイスクリームを食べながら「今日は365日で1番いいお天気だね」と言いました。

いつ退院できるかもわからず、退院しても仕事ができるかわからず、多額の借金、これからの生活はいったいどうなるのか、まだたった2つの息子はどうなるのか、不安は山のようにありましたが、「365日で1番いいお天気」だという言葉は明るく、少なくとも夫がこのお天気とアイスクリームを喜んでいることがわかってうれしかったです。

いいお天気だからたぶん全部大丈夫だと思えた。

 

元旦のお台場は、あの日と同じくらいにいいお天気で、やっぱり私達は全部大丈夫だったねと思いました。

 

夫が寛解と呼べる状態になり、毎日仕事に行くことに、私達と心穏やかに過ごしてくれることに心から感謝します。

彼のそこまで至るまでの孤独と苦悩はどれほどだったのか。

想像することも無礼にあたる気がしてしまいます。そんなの本人にしかわからないし、想像して同情するなんて失礼だから。

本人にしかわからない苦しみがあるし、私にだって、夫との関係の中で私にしかわからない苦しみがありました。

家族には家族の壮絶な苦しみがあります。

 

双極性障害に完治はありません。

夫がまたひどい躁状態になる可能性もひどい鬱状態になる可能性もあります。

そして、また借金したり、退職したりする可能性だってなくはありません。

私にできることは、もしそうなった時に彼を支えられるようにすることです。

仕事がんばろう。

 

 

私と息子は家族だから

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皆さま、お元気でしょうか。

前回のブログ記事は、読み返してみて特定の方に攻撃的ではないかと思い直して削除しました。

公開してる文章で特定の方に攻撃なんて、そのつもりはなくともよくないですから。

 

後、無意味な争いをこれ以上しないため、Twitterのアカウントは一旦削除しました。

いつも読んでいてくださった方、急なことで申し訳ありません。

あ、でも1ヶ月以内ならアカウントは復活できるようなので、大丈夫です。

Twitterのごたごたは詳しい方に一任してしばらく忘れ、家族へのクリスマスプレゼントでも考えようかと思います。

 

大きなぬいぐるみ?

美しい鉱石のセット?

ずっと欲しがっている人体模型?

大好きな三葉虫の化石?

 

ああ、大きなって欲しがる物も変わったな。

去年は、大きなガラスのスノードーム

一昨年は、馬のぬいぐるみ

その前は、なんだっただろう。

 

あんなに小さな赤ちゃんだったのにね。

子どもの頃は、親になって自分が可愛い我が子の成長を感じ涙しながらプレゼントを選ぶなんて想像できなかったよ。

いろんな楽しいことを運んできてくれてありがとう。

 

 

さて、今日は息子の保育園の先生とお話ししたことについて書こうと思います。

 

先日、息子の保育園の先生とお話しする機会がありました。

新しい保育園の先生はとても優秀な方達だから私はなんだか緊張してしまっていました。

正しい知識に基づいたダメ出しをされるかもしれないと身構えてもいました。

そしてしっかりやってることを話して母子家庭でも大丈夫だと安心してもらおうと思っていたのです。

 

ところが、

私の前に、よっこらしょと座った年配の先生は、私の顔を見てにっこり笑って、

「お母さん、もう肩の力の抜き方を忘れちゃったでしょう」

とおっしゃいました。

「え…」と戸惑っている私に更に

「これから少しずつ肩の力の抜き方覚えていこうね。大丈夫、私たちが手伝うから」と。

私は何と言って良いかわりませんでした。そんなこと言われたことなかったから。

「ありがとうございます」

と答えたら涙がダーっと出ました。

なんで?

え?

なんで私泣いてるの?

自分が泣いている理由がわからない。

 

ダーっとなりながら、

ああ、これ良くあるやつ、漫画とかドラマで頑張ってる人がわかってくれる人に会って、張り詰めていた頑張りの糸がプツンと切れてダーっと泣くやつだと思いました。

私は今、ダーっとなってる。

頑張ってるつもりなんてなかったのに。

まあ、そりゃそれなりにはさ、頑張ってるよ。

育児なんだから。

子どもの命と未来を預かっているんだから。

でも息子は育てやすい子だし、みんな言うもの、楽な子だねって、羨ましいって、小児科医も保健師も言うもの、こんなに育てやすい子はなかなかいないって、だから私が大変な筈ないんだよ。

 

「お母さん、息子くんはね、とってもいい子。優しくて勇気があってすごく頭の回転が早い。でも大変でしょう?だって、あんなに短気で口が立つ子とずっと一緒にいたら疲れるでしょう」

どうして知ってるの?

「はい、すごく疲れます。10秒でいいから黙ってほしいって毎日思ってます」

思っていることを素直に答えました。

 

「奥歯噛み締めて我慢して笑ってるでしょ?なんで黙ってって息子くんに言わないの?」

優しい目だなと思いました。

私がどんな母親か査定してる感じが全然しない。

ただ私を優しく見てる目。

「息子には思う存分喋ってほしいからです。だから私の都合で理由もないのに黙ってなんて言えません」

「お母さんの都合の何がいけないの?理由はお母さんが黙ってほしいだけで充分じゃない?」

そんなこと考えたこともありませんでした。

だって、息子には自由でいてほしいから。

「充分なんですか?だって、だって、息子には家の中で好きなだけ喋る自由がある。それを制限していいんですか?」

前のめる勢いで尋ねました。

「うん、いいの。お母さん、あのね、お母さんにも自由があるの。うるさいと思った時に黙ってって言う自由がある。そうでしょう?」

 

私にも自由がある…

 

あれ、私はいつから自由にうるさいから黙っても言えないのが当たり前になってたんだろう。

 

滅私奉公的母親には絶対になりたくないと思ってたのに。

 

私は自分で我慢だと思わずに我慢をたくさんしてきたのかな?

 

あれ?

 

それって息子にとっていい母親じゃないよね。

 

「少し黙ってって今度言ってみます。あ、でもそんなこと言ったら息子は傷つくのではないでしょうか?」

先生は爆笑した。

「あははは、ああおかしい。お母さん、あの自信満々の強気な息子くんがそんなことで傷つくと思う?傷つく前になんで黙らなきゃいけないの?なんで?なんで?ってきっとうるさいよ」

ほんとだ。

私はなんで傷つくと思ったんだろう。

変なの。

黙ってって言ったくらいで私からの愛情を疑う子じゃない。

私達は信頼しあってるもの互いの愛情を。

そこは絶対と思ってやってきたもの。

「ほんとだ」

「ね、お母さん、お母さんは息子くんの家族なんだよ。息子くんの世話を完璧にするベビーシッターじゃない。2人は家族なんだよ」

ああ、ああ、ああ、そうだ、私と息子は家族だ。

家族。

家族なんだよ。

目から鱗

そして涙。

「お母さん、私達、これからたくさん息子くんとお母さんのお手伝いするのからね。たくさん話を聞くし、なんでも言ってね」

「はい。ありがとうございます」

涙声で返事をしました。

「それにしてもお母さんの理屈っぽいところ息子くんとそっくりね」

と先生は笑いました。

私も本当にそうだと思って笑いました。

 

胸が暖かくい。

大切なことに気づかせてくださりありがとうございました。

結論がない話し合いをする夜

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産後、夫婦2人だけで赤ちゃんのお世話をしようと奮闘していたけれど、私の精神状態は日に日に悪くなり、夫との関係も険悪に。

夫はできることはなんでもすると在宅勤務にしてくれたし、毎晩息子と寝てくれたし、家事も、育児もしてくれました。

しかし、夫が在宅勤務を開始してくれた産後半年の頃には、私の心身はすでにめちゃくちゃで、眠れない、食べられない、動悸、ひどい焦燥感、身体はカチカチ、目はギラギラ、夜はウトウトしては何度もびくりと目を覚ますことを繰り返し、何度も起きては自分が不甲斐なくて息子を育てる責任の重さに泣きはらすという毎日。

体調もなんだか日に日に悪くなり、ひどい動悸で息ができなくなってトイレで意識を失ったり、お風呂でも意識を失ったりしていました。

(その時は貧血かな?と思い、息子の育児に夢中で気にしてなかったのですが、心疾患でした。)

そして、その時はもうすっかり夫を敵と認識していたために、自分の弱味を夫に見せるものかと、夫の前では、できる限り私は大丈夫ですという風に演じていました。

あなたはさぞかしご立派なお仕事をしているのでしょうけれど、私だってしっかり育児をしてますからね!と。

自己管理だってしっかりしています。

私はちゃんとした母親です。

赤ちゃんはとてもかわいいです。

 

そうです。

どれだけ、心身がめちゃくちゃな状態でも赤ちゃんは、息子は、毎日眼を見張るほどの可愛さでした。

見るたびに驚くほど可愛くて、愛おしくて、胸が熱くなりました。

 

光みたい、とよく思いました。

いるだけで周りを照らす、明るくて、輝かしい光。

私のところに来てくれた光。

とても現実じゃないみたい。

なんてかわいいんだろう。

命って光だったの。

大事大事大事大事。

 

そんな大事なこの子の、この素晴らしい子の未来を自分が担っていると思うと、武者震いするように気持ちが猛り、育児書を読み漁り、育児、発達心理系の文献を収集し、データを集め、息子を観察して、データに即した最善の対応を試み、おもちゃを手作りし、童謡を歌い、手遊びをし、(もちろん厳選した)絵本を読み聞かせました。

各月齢によって一番よいとされる遊びを、朝と昼には外遊びを、必ず毎日同じ時間に朝寝と昼寝を。

ベビーカーもベビーバスもバウンサーも哺乳瓶もオムツもベッドもベビー服もテレビ番組も空調も住環境も出かける場所も全部全部全部、この子にとって一番良いものをと選びました。

 

そうやって1人でやってきたところに夫がさあ、在宅勤務にしたよ。これからは僕が育児も家事もやるよ。君はゆっくり身体を休めておくれと言われてもね。

 

土日も研修だなんだといなかったのに?

ほとんど毎日夜中に帰宅していたのに?

産後2週間の時にドイツ出張に行く気でいたよね?誰の助けもないのを知った上でね。

料理なんてできないでしょ?料理ができないのに家事?

私がつわりの時も産後すぐの時も作れなくて、ピザとかコンビニだったじゃない。

育児だって、あんた土日とかさ、息子と散歩に出かける前に1時間半は身支度してるよね?シャワー浴びて髪をセットしてさ。1時間半も子ども待てないから。朝の散歩の時間終わるから。

あんたが馬鹿みたいにドライヤーガーガーやってる間に行って帰ってくるわ。

私なんかもうずっと髪も梳かしてないし、顔を洗えない日も多いし、お風呂だってゆっくり入りたいし。

 

入ればいいじゃん?

はあ?

あんた毎日何時に帰って来てたか忘れたの?

赤ちゃんのお風呂はずっと私が入れてますけど?

はあ?

これから?

はい、これからは入らせていただきますね。ありがとうございます。

在宅勤務ありがとうございます。

私が不甲斐ないばかりに申し訳ことです。

ねぇ、なんでも相談してねって言われたんでしょう?秘書に。

秘書に相談しなよ。

妻の頭がおかしいから別れたいって。

 

挑発してる?

そう。

ごめんなさい。

私は2人で育児がしたかった。私は社会から断絶されたくなかった。私は赤ちゃんがとてもかわいい。とてもとてもかわいい。それなのに私は子どもを産む女という性として生きることが今とても辛い。母親というものになったことが息苦しい。

赤ちゃんはこんなにかわいいのに。

なんでもしてあげたいのに。

 

こんなことを言ってもわからないでしょう。

そうだね、僕に言われても仕方ないね。

その通り。

何にも解決しない。

それでも口に出したかったの。

パートナーだと思っていた人にきいて欲しかったの。

(それで満足?僕が愚痴をきいて君は満足?)

満足…?

満足したかったわけではないの。私はあなたを見限りたいんだと思う。

 

困ってるのね。

ごめんなさい。

頭がおかしいの。

在宅勤務にしてくれてありがとう。

理解してほしいという気持ちはなくなったけど、育児をしてくれるのはとても助かる。

 

(じゃあ、君はどうしたいの?僕がどうしたら満足なの?)

 

交代してくれたら。

 

母親と父親を交代してくれたら。

社会的な女と男を交代してくれたら。

全く対等な立場で2人で育児がしたかったの。

 

(現実的な話をしよう)

 

そうだね、現実的ではないね。

 

(また、仕事をしたらいいよ)

 

そうだね、時短で、育児をしながら、たいした収入も得られずに、夫の収入に頼りながらね。

 

(産んで後悔してるの?僕に何がしてほしいの?)

 

後悔してない。

仕事を何年かセーブしなくちゃいけないこともわかって産んだ。

たぶん、ただ慣れないだけ。ずっと男の人と同じ土俵でやってきたから。そこで成果を出して来たから。女に慣れないだけ。母親にも。

何かしてほしいわけじゃない。

フェミニストになって問題を解決したいわけでもない。

折り合いの付けどころがわからないだけ。

結論の出ない話し合いで無駄な時間を過ごしたと思ってるでしょう。

結論がないことが苦手だものね。

話をきいてくれてありがとう。

 

こうやって嫌われていくんだなと思うと寂しいような愉快なような清々しい気持ちになってその日はよく眠れました。

よく眠り起きてみると夫が素晴らしい人のように見え、体調も少しは良くなり、明るい気持ちになりました。

夫に八つ当たりしたことを詫びました。

 

私はなんでもできる。

私は女で母親だけどなんでもしてやる。

今は赤ちゃんが一番だけど。

だけど、なんでもできる。

久しぶりにそう思えました。

夫にいろいろ話したのが良かったのかもしれません。

夫は全部わかっていて聞いてくれていたのかもしれません。

そんなことはないと思いますが。

 

そして夫は頭のいい人なので私が救い難く狂ったなら容赦なく捨てるだろう。

だから安心だと思いました。

早く見捨ててくれと思いました。

母親という役割の責任感にがんじがらめになっていた私は、せめて妻という役割からだけでも逃れたいと思ったのです。

 

まあ、夫は私を捨てずに出来ることを全てやりきり、そして自らも狂ったのですが、それはまた別のお話。

 

 

 

次回は、ベビーシッターや保育園など子どもを預けることについて書こうかと思います。

 

 

 

 

 

ADHDの産後⑤ ほどほどができない私が見た育児地獄

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私たちは仲良しだった。

出かけるときはいつも手を繋いだ。

タクシーの中でも手を繋いだ。

夫はこれまでに出会ったどんな男性よりも無垢で、聡明で、美しく、なにより私を女体としてではなく人間として大切にしてくれていると感じた。

それは舞い上がるほどに嬉しいことだった。

事実私は舞い上がり、結婚した。

夫の心の移り変わりはわからいけれど、夫も私のことをとても好きなようだった。

 

しかし突然の暗転。

かわいい赤ちゃんを産ん私は夫を敵視するようになった。

ふわふわと自分のことだけ考えてきた私は、息子を産んで焦った。

この子の全てが私にかかっている。

命が、未来が私の手にある。

 

正しい生活習慣と食生活で健康な身体を、美しいもの優しいものに触れた時に受け入れられる柔らかな心を、理不尽な目にあった時に悪意を向けられた時に立ち向かい乗り越える強さを、私はこの子に与えなくてはならない。

下地を整えなくてはならない。

大事な大事なかわいい赤ちゃん。

出来ることはなんでもしてあげたいから。

私にできるかしら?

 

 

当時私は未診断だったものの自分が普通よりも劣ってる自覚があった。

私はすぐに忘れる。

私はすぐ疲れる。

私は集中すると周りが見えない。

私は時間の感覚がよくわからない。

私はちゃんとできない。私は普通のことができない。

どうしよう。

赤ちゃんの命にかかわるミスをしたらどうしよう。

しっかりしなくちゃ。

大丈夫、しっかりしようと思えばできるから。

大丈夫、それで仕事も研究もやって来たんだから。

それで評価されてきたんだから。

大丈夫。

仕事だと思えばいい。

研究だと思えばいい。

できる。

大丈夫、やれる。

大事なかわいい赤ちゃん。

 

私の仕事や研究の仕方は、完璧主義です。

匙加減と言うものがわからないのです。

どこが手を抜くべきところなのか、どこか力を入れてすべきところなのかさっぱりわからないので、全てを全力でします。

0か100。

黒か白。

それが賢いやり方ではないこと、それが自分を追い詰めることは重々承知なのです。

でも他のやり方ができないのだから仕方ありません。

できるならとっくにしてる。

できないんだもん。

欠陥人間なんだよ。

 

そう、仕事や研究だけじゃありません。

趣味だってそう。

短歌を始めれば、毎日毎日狂ったように作りまくり、雑誌に投稿し、目に留めてくださった歌人に会いに行き、また作りまくり、新人賞(佳作)を受賞するまでいかなくては気が済まない。

 

ヨガを始めれば、毎日ヨガスタジオに通い、物足らなくなってなんか本格的なインドヨガの教室に通い、毎日通い、頭頂部だけで逆立ができるようなるまでのめり込む。

 

ランニングを始めれば、出勤前に走り、退勤後に走り、走る距離がどんどん長くなり、生理が止まる。

ほどほどができない。

自分を客観視できない。

 

そんな人間が育児をするということは、つまり地獄です。

自分も周りも。

育児ほど完璧が不可能なとこないもの。

そして、最悪なことに私は自分が完璧を求めている自覚がなかったのです。

かわいい赤ちゃんのためにできる限りのことをしたい。

ミスはできない。

それだけです。

ただADHDの特性によって、0か100しかできない。

選択肢は一つ。

100するしかない。

 

そして私は愚かにも夫にも完璧を求めました。自覚なく。

夫は私みたいに劣った人間ではないのだから、出来て当たり前でしょうと思ったのです。

夫は賢い、夫はなんでも器用にこなす、夫は仕事ができる、夫は記憶力も素晴らしい、夫に育児ができないわけない。

そう思って疑いませんでした。

私より優れた人が、私ができることをできないはずない。

できない?

どうして?

バカにしているの?

できるのにしないなんて。

息子の命が未来がかかっているのに?

しないの?

できるのに?

ねぇ、なめてるの?

私たちのことが大事じゃないの。

そう。

あなたは味方ではないのね。

あなたは敵だったのね。

こんなに必死でやっているのに。

あなたは何も失ってないのに、できることもしてくれないの。

憎らしい。

私はあなたが憎い。

私はあなたが嫌い。

 

夫はマニュアルがあることはよくできます。

でも育児のような臨機応変に対応することはとても苦手です。

できるのにやらないのではなくて、夫は夫なりにできることをしてくれていました。

そうわかったのは随分先のことです。

そう、ずっと先のこと。

私たちが壊れてしまった後のことでした。

 

 

息子の衝動に救われた日

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随分とご無沙汰しておりました。

もう12月ですね。

新居に引っ越してから2カ月弱。

正直、世田谷の家が懐かしく、恋しく思うこともありますが、なんとか元気にやっています。

産後のことを書こうとすると、思い出が辛すぎて体調が悪くなるので、今日の出来事でも書こうと思います。

 

 

 

今日、私と息子は銭湯に行きました。小さな町の銭湯ですが、子ども風呂があって息子はそこで遊ぶのが好きです。

今日もお風呂で楽しく遊んで、ほかほかに温まり、真っ赤なほっぺのかわいい息子が湯冷めしないようにとあたたかいうどんを食べに行くことにしました。

そのうどん屋で事件は起こりました。

湯上りで上機嫌の私と息子は、おだしのいい匂いが立ち込めたうどん屋でとても幸せな気持ちで温かいうどんをすすっていました。

私は天麩羅うどん、息子はけんちんうどん。

息子のうどんを器に取り分け、フーフーと冷まし、こぼさないように食べているのを見守りながら自分のうどんを素早くすする。

息子の腹の空き具合によっては、食べ始めてものの2,3分で食べるのに飽きてしまうこともあるため、自分の食事はできる限り早めに終えておくのがベターなのです。

子どもを連れた外食は、息子が4歳になって楽になったとは言っても気が抜けません。

スムーズに食事を終えることが多くなったとはいえ、100%無事に終えるというわけではありませんから。

そんな一見和やかに見えて、その実は張り詰めた食事の時間。

子どもの食べるペース、食器の位置に気を配り、立とうとすれば「お食事の途中で立ってはいけないよ」と注意し、しゃべってばかりで箸が止まっていれば「おうどん冷めちゃうからもう少し食べてからお話ししようね」と提案し、口の周りが汚れれば拭き、もちろん、楽しく会話もしつつ、自分のうどんはどんどん食べる。

そんな感じで今日も食事をしていました。

食事も中盤、やや息子が飽きてきた頃、隣のテーブルでビールを飲んでいた60代くらいの肉体労働者風の男性が息子に話しかけてきました。

「坊主、かわいいな。うどんうまいか?」

「…」(急に知らない人に話しかけられてもいつも応えません。)

「なあ、坊主。うどんとお母さんのおっぱいとどっちがうまい?」

男性は酔っているようで声が大きく、たばこの煙をこちらに吹きかけるので、私は男性に話しかけるなという意思表示として「騒がしくてすみません。もう出ますので」と言いました。

男性はニヤニヤしながら「なあ、坊主、まだお母さんのおっぱい飲んでるのか?おじさん羨ましいなあ」と息子に話しかけます。

私にとってはひどく屈辱的な内容でしたが、相手は酔っ払いだし、悪気のない相手にケンカ腰になって楽しい今日が汚されるのが嫌だったので相手をきつく一瞥し、息子には「もう行こうか」と言うに留めました。

それに、こういう悪気のない相手からの屈辱的な内容の話しかけなんて、これまでにも何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もあったし、これまでだってやり過ごしてきた。

気にしすぎ。

ちょっとからかわれただけなのに怒るなんて。

自意識過剰。

相手は仲良くなりたいだけ。

コミュニケーションのひとつ。

楽しい雰囲気を壊す。

 

それでも私には耐え難い。

私がおかしいのかな。

何か腐ったものを掌にべたりと付けられたような不快感。

汚いものに触ってしまったと感じる。

そう感じることがおかしいのかな。

もしかしたら相手にとても失礼なことなのかもしれない。

でも無理。

消えて。

駆除されて。

 

ダメだ。

そんなこと思っちゃダメだ。

母親なんだから。

とにかく店を出よう。

 

「お母さんのおっぱい大きいか?」

ああ、まだ言うか。

クソが。

 

その時、

男性に声をかけられても無視を通し、黙ってうどんを食べていた 息子が、自分の前にあったうどんの器、小鉢を手で払い、全てをざっと机の下に落としました。

真顔で。

子ども用のプラスチックの器はカランカランと派手な音を立てて床に散らばりました。

私は「どうしたの?」と叫びました。

厨房からはお店の人が慌てて飛んできました。

私はお店の方に謝り再度息子に「どうしたの?」と尋ねました。「いけないことだってわかるでしょ?どうして?」と。

息子は堰を切ったように泣きだしました。

ああ、どうして「どうしたの?」なんて言ったんだろう私は。

私の「どうしたの?」は息子に言ったんじゃない。息子の行動を見ている周りに対して言うべきセリフとして言ったんだ。

だってどうしたのなんて思ってないもの。

ありがとうって思ってるもの。

黙らせてくれてありがとう。

ありがとう。

大好き。

ヒーローみたい。

大好き。

 

お店の方にレジでもう一度謝罪してうどん屋を出ました。

泣き止んでむっつりと黙っている息子に

「どうして落としたのか教えてくれない?もしかしたらお母さんどうしてか分かってるかもしれない」と言うと

「おじさんに怒ったから。絶対に黙らせたかったから。いけないことだって分かってるけど手が勝手に動いたの。だからわざとじゃない」と答えてくれました。

「お母さんもね、おじさんに黙ってほしかったの。だからねいけないことだけど、息子がああやってパワーで黙らせてくれてうれしいって思ったの」

小さな背中をさすりながら話します。

ああ、ダメな母親だと思いながら。

「知ってるよ。お母さんのためにしたから」と。

きっと衝動的にしたことでしょう。

私のためだと言えば叱られないと思っての発言でしょう。

それでも、「ありがとう」と不適切かもしれないけれど伝えました。

「うん。ごめんね。もうしない」

「悪い人だったら息子が危ないんだよ。だからもうしないで。お店の人も周りの人も困るからね」

「勝手に手が動いたんだよ」

「うん。そうだね」

「いけないことだけどどうしてもしなくちゃいけないから手が動いてくれたんだ。仮面ライダーオーズの人の手みたいに。わざとじゃない。僕は乱暴な子どもじゃない」

「うん。知ってるよ。大好き」

「お母さんてさ、僕のことほんと好きだよね」

息子がいつものおどけた表情をしました。

 

ありがとう。