
①の続きです。
祖父が亡くなり、実家は新築され、しっかり者の祖母はひどい鬱になり自分の身の回りのことができないまでになりました。
フルタイムで働く母の代わりに私と弟妹を育て、家事の一切を担っていた祖母が鬱になったことで家の中は物が溢れ、水回りには悪臭、増え続けるゴミ袋、飼っていた犬は病気になり、カメも金魚も死にました。真新しい家は埃だらけ、ひどいありさま。
今が何月何日なのかどころか、昼か夜かもわからなくなった祖母を罵る母のキーキーした超音波みたいな声が日がな一日響き渡っていました。
祖母は母をずっと嫌っていました。
意地悪するなんてことはありませんでしたが、同居を始めてから鬱になるまで、母が居ないように扱い、距離をおいた態度をとり、敬語を崩しませんでした。
母はずっとそれが許せなかったのです。
そんな母は祖母の返事の声が小さい、食事を残す、風呂に入らない、部屋から出て来ない、そんなことを狂ったように大きな声で攻め立てました。
「おばあさんが呆けた!」
と勢いよく病院に連れて行き、認知症ではなく鬱ですと医師に診断された後も、鬱なんて気の持ちようだ、おばあさんは呆けたのだ、頭がおかしくなったのだと鬱を病気だと思っていないようでした。
母は体も声も大きい。
祖母が鬱になってから、その体が家のなかでどんどん巨大化していくような感じがしました。
母が家のなかぱんぱんにつまっているような感覚。
息ができない。
まず父が仕事が忙いと言って、職場の近くにマンションを借りて実家にはめったに帰って来なくなりました。
私も大学の近くにアパートを借りて実家を出ました。
そして1カ月後におばあちゃんを迎えに来ました。
布団から起き上がれなくなってしまい、乱れた白髪のおむつを履いた祖母。
手に職を持ち、ちゃきちゃきと家のなかのことを取り仕切り、礼儀作法に厳しく、友人が多く、お化粧とオシャレの好きな、私の母親代わりの優しい祖母が変わり果てた姿でそこにいました。
そして私を見て、弱く微笑み、私ではない誰かの名前を呼びました。
つい1年前までは美しく化粧しておしゃれをして、一緒にお芝居を観に行ったのに。
日本語しか話せないのに海外でもどこでも気が向いたら出かけて、友達を作って帰国して、面白そうに覚えたてのスラングを私に聞かせて驚かせていたのに。
まだ65歳なのに。
こんなのまるでおばあさんじゃない。
彼氏の車に祖母を乗せて自分のワンルームの部屋に祖母を連れて帰りました。
祖母は私の部屋を不思議そうに見て回ると、「ここではなくて私の家に帰して」と泣きました。「おじいさんの居る松の木が庭に植わっている私の本当の家に帰して」と子どものようにわんわん泣きました。
私も泣きました。
古くて狭い築30年の下水の匂いのするアパートの一室で私たちは泣きました。
彼氏が所在なさげに部屋の隅で西日に目を細めていました。
祖母はそれからすぐに入院して、二人きりで暮らした期間は10日ほどです。
そしてその後、おおよそ10年の間、祖母は鬱と付き合っていくことになります。
③に続く。