発達障害ちゃんと赤ちゃん

ADHDのこと、夫のこと、息子のこと、実家のこと。

父の呪い④

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③の続きです。

 

 さて、実家を出て一人暮らしを送っていた私にその後の人生に大きな影響を与える出会いがありました。

 最初の夫との出会いです。

 20歳の冬の出来事です。

 今から20年ちかく前の出来事なので、もうずいぶん昔のことなのですが、その日のことは今も鮮明に覚えています。

 最初に言っておくと、一見ロマンチックな恋物語のようなエピソードですが、最初の夫との出会いも、交際も、結婚も決してロマンチックなものではありませんでした。

これはロマンチックな出会いであり、私は特別なのだと思い込むことで現実から、自分から逃げていたのだと思います。

 そしてあれは自傷の一種だったのだと今ならわかります。

 最初の夫との諸々だけでなく、私の子どもを産むまでの人生は、自傷のための人生だったと。

 コメント(全部読んでいます。お返事できなくてごめんなさい。上手く書けなくて伸ばし伸ばしにしてしまっていて。)をくださった方が「不幸が内容が面白い」と感想をくださって、ああ、なるほどと思いました。

 確かに私は自分の不幸が面白いかったし、楽しかったのです。

 わくわく、ぞくぞくしていました。

 もっと、もっと、もっととさえ思っていました。

この楽しんでいるというのは、自己肯定感の強さ、解決できる自信から、余裕の笑みで自分に起きた出来事を楽しんでいたのではありません。

例えるなら、手首を切ってそこから溢れる血を眺めている心持です。

血、きれいだなって。

もっと、もっと、もっと、流れて、もっともっともっともっと痛いことをしたい。

焦燥感に駆られるように不幸を、痛みを、望んでいました。自覚なく。

 

これは私の20年前のお話なので、その当時はまだ毒親という言葉はありませんでした。虐待という言葉さえ、まだ一般的ではなかったように記憶しています。

教育の名のもとに、教師の体罰は当たり前。

しつけの名のもとに、親からの体罰はもっと当たり前。

そんな時代でした。

なので、日常的に肉体的、精神的な暴力を受けて育った私ですが、親から虐待された自覚は全くなかったのです。

そもそも子どもの小さな世界で、ほとんど自分の両親以外との大人の私的生活を見る機会なんてありません。

だから他の親がどんな風に子どもに接しているのかなんてわかりません。生まれた時から傍にいるのが、自分を苦しめる親ならそれが基準、それが私、私たちの普通なのです。かなしいことに。絶望的なことに。

 

子どもは無力。

 

無力な子どもはさて、どうするのでしょうか。

どんな手段で狂った親の毒を制するのでしょうか。

そこに希望はあるのでしょうか。

浴びせられた醜い毒によって私は、私だけでなく恐らく多くの被虐待児は、自分は「大事にされるべき存在じゃない」と「相手に都合がよい姿、性格でないと認めてもらえない」「何かを差し出さないと愛されない」と思い込んでいます。

親の元から逃げ出せたとしても、この思い込みは容易には変えられません。

毒親によって植え付けられた、変えなければ必ず自分を不幸にするこの価値観。

なんて強烈な呪いなんでしょう。

毒に侵されている。

もし毒に侵されなければ私の人生はどんなものだったのだろう。

もしもなんてないのに。

クソ甘えたこの考え。自分が嫌になる。

 

そう、もしもなんてありませんから、私の人生は不幸になっていきます。

そしてそれをとても楽しみます。

叫びだしそうになりながら、笑いだしそうになりながら、腹の奥が感情の衝動にくつくつと揺れるが、泣きたいのか笑いたいのかもわからない。

普通に生活しながら、何をしていてもずっと叫びだしそうだった。

笑い出しそうだった。

滅茶苦茶になりたいと思っていた。

もっともっと全部めちゃくちゃになれば楽しいのに。

ああ、ここで死んでやろうか

 

ここでやっと最初の夫の登場です。

前置きが長い。

 

⑤につづきます。

⑤で終わり。

 

あ、今は普通に元気に過不足なく生きてますので、大丈夫です。

幸せでも不幸でもなく、穏やかに。