発達障害のことと家族のこと

39歳。ADHD診断済み。4歳の息子と猫2匹と暮らす。同い年の夫と別居中。

もう一つの虐待①

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先日、8つ下の弟から結婚すると連絡がありました。

おめでとう。

それはとてもおめでたいね。

そう言いました。

弟は、ありがとうと言いました。

 

でも、正直、おめでとうという気持ち以上にほっとした気持ちが強かったです。

ああ、もう私がさくちゃん(仮)の面倒をみなくていいんだと思いました。

弟は31歳なのに。

思い立って日本を出て何年もオーストラリアの農場で働いたり、海上自衛隊として海の上にずっといたり、大震災の時なんかも何にものご老人を背負い水の中を歩いたり、射撃が趣味だったり、筋肉隆々だし、動物が捌けたりするし、調理師の免許だって持ってるし、燻製がつくれたりするのに。

私なんかよりよほど何でもできるのに。

あの子は私に何かしてほしいなんただの一度も言ったことがないのに。

 

いつもいつも「弟の面倒をみなさい!お姉ちゃんでしょ!」と繰り返していたのは母。

 

母は弟を溺愛していました。

 

毎日毎日毎日毎日…猫なで声で朝から晩まで「さくちゃん」「さくちゃん」「さくちゃん」「さくちゃん」と呼んでいたので、その声は今でも耳にこびりついています。

 

弟は、自己主張のない、無口でのんびりした子どもでした。

気持ちの優しい良い子でしたが、落ち着きがなく、あまり頭が良くありませんでした。

母はそんな弟が可愛くて仕方がないようで、それはそれは弟を可愛がっておりました。

 

私と妹には少しの口答えも許さないで、母の問いかけ(主語がなく、代名詞が多いため要領を得ない)に少しでも返事が遅れようものなら、顔を真っ赤にして手を振りかざし殴るそぶりをする、または殴る、何かを投げつけ奇声をあげる等を日常的に行い、その他もとにかく不機嫌を撒き散らし、その態度に眉をひそめると烈火のごとく怒り狂いドスンドスンと床をふみ鳴らし、ドアをバタンバタン締め、ニヤリと笑い私や妹の手や足を(おそらくわざと)ドアに挟んでは大げさに「間抜け」「とろいから」と騒ぎ、剥がれて血の滲む爪や紫色に腫れ上がる指をぐいっと掴んでしげしげと眺めてから「こんな怪我大したことない!大袈裟に泣いたりしてお母さんを悪者にして!おまえは性格が悪い!頭がおかしい!」と言って、またドスンドスンとどこかに行き、大抵1時間後くらいにさめざめと泣きながら現れ「こんなお母さん嫌い?」と濃い化粧のハゲた醜い顔で、自分に酔っている人特有のセリフじみた言い方で、私に問いかけ「嫌いじゃない(好きとか嫌いとかいう感情はない。疎ましい、面倒くさい)」と私が渋々答えるまで泣き続ける、そんな母でしたが、弟には手をあげたこともなく、乱暴な言葉も彼の前では決して使いませんでした。

 

弟に対して母は過干渉で、身の回りの世話なんかも、例えば、弟が食事をする際は、彼の前の席に座って自分は食事せずに、彼の動作を見守り、「お醤油取ろうか?」「サラダのドレッシングはどれにする?」「硬くない?小さく切ろうか?」「お茶、冷めてない?入れなおそうか?」「おかわりする?」と終始話しかけていました。子どもの時だけでなく弟が成人してからも、30歳をオーバーした今もこの調子です。

弟が風呂に入れば、もちろんタオルと下着、パジャマを用意して、上がってきたら髪を乾かしてあげる。

もちろん、弟の部屋は常に母によって掃除され、寝具も整えてられていました。

母は掃除が苦手で、私や妹の部屋を母が掃除したことかど一度もないのですが。

 

弟が欲しがるものはなんでも買い与え、妹が「ずるい!」と言えば「男の子なんだからあんたとは違うの!そんなこともわからないのか!」と言っていました。

 

弟はほとんど躾されることもなかったので、外に遊びに出れば交通ルールを守れずに事故に遭い、走って川に落ち、車の後部座席に落ち着いて座ることさえできずにブレーキの度に転び、何でも自分の物だと思い込んでいるのでお友達にいじめられ、ものを取られと酷い有様でした。

 

そして、その善悪のつかない木偶の坊みたいな弟の面倒は姉であるあなたが見るべきだ!兄弟なのだから当然!と母が主張したのです。

「お友達がいないならあなたが遊んであげなさい。お姉さんなんだから」「あなたがお友達と仲良くできるようにしてあげなさい。お姉さんのんだから」「あなたが事故に遭わないようにみてないとダメでしょ。お姉さんなんだから」。

 

できないの?冷たいのね。信じられない。兄弟なのに。普通じゃない。怖い子。目つきが悪い。性格が悪い。おまえはキチガイか!!!!

 

もうキチガイでいいよ。お母さん。

 

②に続きます。