全然大丈夫じゃないけど美しい日々

何度絶望しても世界は美しいから私は生きる。

別居のわけ①

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物凄く久しぶりの更新です。

夫と離れて暮らし始めてもう2年以上たちます。

息子と2人の生活はとても快適で、気楽で、楽しい、過不足のないものです。

強がりではなく、私は自分が思う以上に、誰かと協力して何か成し遂げるということが苦手だったのでこれが最善だったのだと思います。

協力、協調、頼り、頼られるが幼いころから苦手で、他人のことが受け入れがたく、ずっとそれで生きづらさを感じていたのに、なぜ、育児は夫と協力してするべきだ!二人で平等に負担すべきだ!それが家族のかたち!それ以外はありえない!と思い込んでしまったのか今となっては不思議です。

どうして今更、別居について書こうかと思ったのかというと、Twitterでレンタルなんもしない人(@morimotoshoji)という方が、自分が育児に向いていないという理由で奥様とお子さんがいる家を出て暮らすことにしたとで炎上、あまりに多くの人からひどく批判さていて、それを目にして沸々と怒りがわいてきたからです。

怒り、落胆、諦念。

ひどい言葉の洪水にまるで夫が批判されているようで、目を覆いたくなりました。

 

他人の家庭のことに我が正義なりという顔をして口を出す人たちがいることを子どもを産んでから知りました。

彼らが決まって「そんなの子供がかわいそう」というのも。

やたら「愛情」というのも。

 

母乳じゃないの?

子どもがかわいそう。

夜泣きが酷いの?

ちゃんと愛情注いでる?

離乳食手作りじゃないの?

子どもがかわいそう。

ベビーカーより抱っこがいいんじゃない?

愛情が伝わるから。

お惣菜なんて味が濃いし、身体に悪いよ。私はしんどくても作ってったな。

子どもがかわいそうだから。

まだ2歳なのに保育園に入れて仕事に行くの?

さみしそうな顔してるよ。かわいそうだと思わないの?

4歳なのにもう塾に行っるの?お勉強ばっかりさせれてかわいそう。

 

子どもを産んでから嫌というほど浴びせられてきた悪気のない(と本人は思っているであろう)言葉。

いろんな家庭があるのだから、家族で話し合ってそれで良しとしているなら、外野が口出しすべきではない。

私のこと、息子のこと、夫のこと、私たち家族のこと何も知らない人の言葉に動揺することないのに、イライラしたり傷つくなんてばからしいのに、息子のことを一番に考え私たちにできる最善をしている自信はあるのに、それなのに、それでも、息子が死ぬほど大事だから「子どもがかわいそう」という言葉に心は乱れてしまう。

そして、本当に腹が立つ。

うるせぇと叫びたくなる。

誰かの赤の他人の育児を否定して、あなたが得るものはなんですか?と尋ねたい。

だって、例えば育児じゃなくて介護だったらこんなに無遠慮に口出しされるかな?

「子どもがかわいそう」を免罪符にするのもほんと気持ち悪いぐらい卑怯だし。

お前に私の子どものことがわかってたまるかと思うし。

べたべた甘えた声で親しげに、さも私はあなたより子どもの味方ですと言わんばかりに近寄ってきて、やってることは下品でおせっかいなマウンティング。

本当に嫌だ。卑しい醜い大嫌い。(対うれしたのし大好き)

 

はいはい、よくわかりました。

どれだけあなたが、母親とは、無能で無知で弱者だと思ってなめてかかってるのかがよくわかりました。だから消えてねって思う。

舐められるの大嫌い。

 

別居についてもね、まあいろいろ言われるわけですよ。

いろんな人間がいて、いろんな家族がいて、幸せな家族にもいろんな時期がある。

その家族のその時の状況にあった形をとること必要だと思うのだけど。

無理して一緒にいるよりずっと健全だと思うのだけど、違いますかね?

もちろん、子どものことも考えたうえで。

こんな考えだから何回も結婚して離婚して別居しているんだって言われそうだけど。

だって、人生有限ですよ。私なんかもう40だから20年後には60歳なんだよ。もうそんなの何らかの病気かもしれないし生きてるのかもわからないし、ともかく限られた自由に考え動ける間には自由でいたいということ。

 

②に続きます。

夫と別居している理由など。