発達障害ちゃんと赤ちゃん

ADHDのこと、夫のこと、息子のこと、実家のこと。

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

いつもこのブログを読んでくださりありがとうございます。

拙い文章で恐縮ですが、これからもよろしくお願いします。

皆さまの新しい年が素晴らしいものでありますように。

 

 

 

昨日、夫が自宅に来てくれた。

私が出かけるので、その間息子を預かってくれるためだ。

数日前に、友人から連絡があり、話がある、どうしても会って話したいとのことだった。

なんだか切羽詰まった様子だったので心配になり、夫に息子を預け会えるようにしていたのだが、今日の朝になって「やっぱり今日はやめておく」などと言い出したのだ。

仕方がない。

話しはしないけど、呼び出したお詫びにどこにでも好きなとろこに連れて行ってあげるというので、温泉とマッサージに行きたいとお願いした。

タクシーを飛ばして都内のスパリゾート施設に行き、風呂に入り、足裏マッサージやフェイスエステを受けて、ツルツルの顔でお蕎麦屋さんに行って、日本酒を飲んで、ざる蕎麦と天ぷらを食べて蕎麦湯を飲んで、会計を済ますまで、友人は一言も喋らなかった。

私一人が馬鹿のように「おいしそう」だとか「抹茶塩で食べるんだって」とか「鴨南蛮蕎麦美味しい?」とかペラペラと喋っていた。

「鴨南蛮蕎麦美味しい?」と尋ねた時は無言で頷いた。

いったいなんだっていうんだろう。

顔色も良く、鴨南蛮蕎麦もつるつるとよく食べいたし体調が悪い感じはしない。

しかし喋らない。

目が合わない。

いったい何?

問い詰めたい気持ちをぐっと堪える。

息子を育てているうちに待つというスキルが大幅に向上したので、大丈夫、待てる。

待つこと誰かとコミュニケーションをとる上でとても大切。

相手に合わせることは相手を受け入れること、相手を安心させること。

息子から学んだことはとても多い。

息子は最高。

 

私の自宅に向かうタクシーの中で、友人がボソッと「ありがとう」と言った。

「何が?」

「今日、一緒に居てくれてありがとう」

顔を見ると鼻を赤くして目に涙を溜めている。

西陽が彼の濡れたまつ毛を照らす。

サングラスをかけていない顔を見るのがとても久しぶりだと気がついた。

ポケットからハンカチを出して目元を拭うと、ははっと短く笑った。

薄い水色のハンカチについた涙の染みをぼんやり見ている間に友人はまたサングラスをかけたようで、もう泣いているのかどうかわからない。

「大丈夫?」と尋ねると鼻声で「ごめんね」と言って、「はあ〜うまくいかないな」と呟いた。

痛々しので、思わず手の甲を撫でる。

息子にするみたいに、優しく優しく、いい子だねいい子だね、大丈夫大丈夫と。

悲しいことがあったのね。可哀想に可哀想に。

「大したことじゃないから、もう気にしないで」

「そう」

「よくあることだと思う」

「そう」

「家に来る?」

「いかない。さみしいの?」

「さみしい」

「笑ってるじゃん」

友人の口角は上がっていたし、私が指摘すると、はははっと乾いた笑い声を立てた。

「いや、笑うしかないからさ。仕事のこと、あなたに話してもしかたないのにね」

「仕事のこと?私は仕事のことなんて少しもわからないから仕事のことは会社の人に話しなよ」

「仕事もね、いろいろあるんですよ」

「嫌なら全部やめたらいいよ」

「いや、無理でしょ」

「嫌ならやめなよ。死なないように」

「え?」

「死なない?弟みたいに全部のみこんで死なない?」

友人は亡くなった弟と同い年だ。

今度は私が泣いていた。

「ごめん。死なない。死なないよ。ごめんね」

「全部から逃げたくなったら私、助けるから」

「ごめん。ありがとう。今日、あなたがなんで来てくれたのかわかった」

「うん。あのさ、家に来る?とか言うのはやめなよ」

「ははは、もう言わない。これでも結構モテるんだよ」

「ふふふ、馬鹿だなあ」

「馬鹿なりにまだ頑張るよ」

それなら良かった。

私は全員が健やかに満たされて元気で笑っていてほしいと本気で思っている。

そんな危ない宗教みたいな浅はかなことを。

でも現実は不幸も幸福も綯交ぜなので、私はその不幸も幸福もすっかり受け入れて、いつでも味方でいるしかできない。

あけましておめでとう。

新しい年がきたね。