子どものいる生活

息子のこと、夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

始まりも終わりもないもの

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この前、とても久しぶりに美術館へ絵を観に行った。

絵画と向き合うのは体力がいる行為なので、育児に仕事に疲れているここ何年かは美術館から足が遠いていたのだけど、なんだか無性に絵が観たくなりふらふらと電車に乗って行ってきた。

チケットを買って入館すると美術館特有の匂いと静寂が懐かしかった。

妊娠する前には慣れ親しんでいたもの。

 

若い頃、確かまだ19とか20の頃にまだ付き合っていない前夫と美術館に行ったことがある。

私が誘った。

顔とか声とか撮る写真とか書く文章が好きだったから。

まだ真新しい美術館で、ゆっくり歩きながら2人で絵を観た。

観客の少ない展覧会だったので、広々としたフロアを順路に沿わずにあっちに行ったりこっちに行ったりしながら好きなように観た。

たくさん話をしながら。

「絵を観るのが好きなんだね」と彼は言った。

私はあまり頭の良くない学生だったから、絵画鑑賞なんて文化的な趣味を持っていることに驚いたのかもしれない。

「なんで好きなの?」

なんでだろう。

きれいだから。

表現が面白いから。

テーマが興味深いから。

狂気が内在しているから。

1人じゃない気持ちになれるから。

生きてる他人の思考の痕跡が生々しくて楽しいから。

どれも本当だけど、なんだかしっくりしない。

だって、そんなの小説でも、詩でも、映画でも、音楽でも、演劇でも、芸術と呼ばれるものは総じてそうじゃない?

なんで絵なんだろう。

私はどうしてこの人と一緒に絵を観たいと思ったんだろう。

誰かと観たいなんて今まで一度も思ったことなかったのに。

フロアのソファに座り考え込んでしまった。

頭にモヤがかかったみたいに思考が辿々しく頼りない。

いつもそう。

私はいつもここ1番でうまく言えない。

本当のことが言えないならせめて、

なんだかかっこいい、するどい言及をしてさ、おお君はなんて素晴らしい感性なんだ、なんてスペシャルなんだ、ユニークなんだ、って言わせたかったな。

前夫の後ろ姿を見る。

弾むような足取りで絵から絵に移ってゆく後ろ姿。

私の存在なんて忘れてるみたいにみえる。

この人どうして今日ここに来たんだろう。

まあ、いいや。

歩み寄って肩を叩くと彼は嬉しそうに笑った。

「私、たぶん絵には終わりがないから好きなんだと思います。始まりも終わりもないから寂しくなくて好きなんです」

口から自然に出てきた無防備な言葉がするすると滑ってゆく。

「えーと、音楽も物語も詩も終わりがあるから。始まって終わるから。終わるのがいつも寂しいんです。でも絵は終わらないから安心。死なない人みたい。始まりも終わりもない。閉じ込められた今だけがあるから好きです」

そんなことを言った。

彼はなんと返答しただろうか。

たぶん、「絵画はそういうものだね。詳しく書いた文献があるから今度かしてあげるよ」などと言っていたと思う。後日、絵画と時間みたいな本を貸してくれたのも覚えている。

 

昔の記憶。

今日の展覧会も人がまばらだ。

前夫は去年亡くなった。

あの日彼と観た絵が私の前にあの日と変わらない姿である。

黒い服を着た女がこちらを虚な目で見ている。

胸につけられたすみれの花束の紫がきれい。

あの日には自分より年上だった女がいつの間にかずいぶんと年下になった。若い女の絵。私みたいなおばさんではない描かれる価値のある若い女の絵だ。

歳を取ってから気づいたが、歳を取った女の絵というのはほとんどない。

画家が情熱を注いでカンヴァスに閉じ込めるのは決まって若い女だ。

今目の前にいる黒い服の彼女も中年になり老婆になり死んだはずなのに。

虚な目をした女。

あの日まだ中学生だった弟も自分で死んだ。

私は生きてる。

でもいずれは必ず死ぬ。

私にも始まりがあり終わりがあるから。

絵みたいに閉じ込めることはできないから。

 

今はもうお終いが寂しいと思わない。

終わりが怖いとも思わない。

閉じ込められてる永遠の方が寂しいと思うようになった。

終わりは清々しい。

今日はそれが確認できてよかったよ。

虚な目の女に頭の中で言った。

あなたはずっとそこにいてね。

また来るから。

終わりが怖くないって確認しに来るから。

それでは、さようなら。

またいつか。