子どものいる生活

息子のこと、夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

草むらの夢

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夢の中でこれが夢だとわかっている。そんな夢を見た。

「これは眩しいような緑ですね」

浴衣を着て縁側に座り死んだはずの前夫が私に言った。

目を向けると確かに庭に雑草がぼうぼうと茂りその緑は眩しいくらいに鮮やかだ。

「ほんと」

私は答えた。

前夫は微笑んで私の手の甲をそっと撫でた。

前夫は私の手が好きだった。「小さくてかわいいから」と。小さくてかわいいから好きなんて、なんて原始的な感情なのだろう。

小さくてかわいい非力なものを愛でたいという欲求をどうぞ私で満して。私を非力だと庇護の対象だと思っていて。

私にはそれが心地いい。

それくらいしか私はあなたにあげられないから。

本気でそう思ってた若い日。遠い前夫と過ごした日々。

 

草の匂い。

夏の匂い。

あれ、今って夏だっけ?

そういえば、蝉の声がしない。

蝉、そう私の子どもが大好きな蝉。

私の子ども。

そう、私には子どもがいる。

「先生、私、子どもを産んだの。もう5歳になるよ」

そう言って、前夫の方を見ると彼はすっかりお爺さんになっていた。

さっきまでは40代くらいのおじさんだったのに。

お爺さんはパジャマ姿でこちらを向き目を瞬かせた。

「子ども?それはおめでとう」

にっこりと笑って言う。

よそ行きの生徒に見せる用の先生然とした笑顔だ。

この人はプライベートではあまり笑わなかった。学生の前で良い先生を演じている分自宅では横柄だった。

「あ」

お爺さんになった前夫が着ているパジャマに見覚えがあった。これは私が贈ったものだ。

私がお見舞いに持って行き渡した柔らかなネルの紺色のパジャマ。

「ありがとう。あなたからまたプレゼントをもらえるなんて病気になった甲斐があったよ」とふざけて言っていた。

この人はこれを着て亡くなったと人伝にきいた。

風が強く吹いた。

背丈の高い草がざわざわと揺れる。

「これは眩しいような緑ですね」

前夫がまた言う。

「ほんと」

私が答える。

夢だとわかっている。

この人はもういない人。

「あなたが幸せなら僕はうれしいです」

不意に前夫が言うので驚いた。

なんて都合が良い夢だろう。

そんなこと前夫は言ったことない。

そんなこと言わない。

だいたい私は今、離婚するしないで揉めていてとても幸せとはいえない状況なのに。

だから、だからこそ誰かに幸せを願われたいのだろうか。

私は弱いな。

私は弱くて小さくて非力だ。

 

「これは眩しいような緑ですね」

前夫がまた言う。

お爺さんの姿で、何も見ていない目をして。

なるほど庭の緑は燃えるようだ。

さっきより一層鮮やかになり轟々と揺れている。

「ほんと」

私は答える。

それにしてもここはどこだろう。

古びた平家の一軒家の縁側、奥に目を向ければ仄暗い畳の部屋が見える。

「ここはどこ?」

前夫に尋ねてみる。

「君がいつか死ぬ家だよ」

私は目を見開いて前夫の顔を見たけれど、彼の表情は静かなまま、白濁した目は何も見ていない。

「そう」

驚いたけれど、そうかもしれないと思った。

これは夢だけど、そうかもしれない。

死はどんどん近しいものになってくる。

「またおいで」

前夫が言った。

白濁した目の前夫はさっきより一層お爺さんになったようだった。

小さく縮んで頭髪も僅かしかない。

生きていたらこんなふうに歳をとったのかもしれないなと思った。

「うん」

そう答えて、縁側から降りた。

ざぶんと水に飛び込むように草むらの中に入る。

草の匂いが鼻をつく。

胸の高さまである草がチクチクと皮膚に刺さり痛い。

なんで私ここにいるのだろう。でもいいや。なんだか楽しい。草むらの中はひんやりしていて気持ちいい。

草の中でクルクルと回ってみた。

シャっと草が擦れて半袖から出た二の腕が切れる。血が滲む。

血が出た腕をみると酷く筋張っていて皺々だ。

不思議に思い自分の体を見下ろすと体の全部が筋張っていて皺々になっていた。

お婆さんになっていた。

縁側から前夫が私の名前を呼ぶ。

答えようとするけど、草の丈がどんどん伸びて前夫の姿が見えない。

緑は燃えるように鮮やか。